堀田正睦(1810~1864)とは、幕末に活躍した大名である。
佐倉藩主で、阿部正弘・井伊直弼という二つの個性に挟まれ少し地味な扱いを受ける苦労人。相模守・備中守。なお、はじめは堀田政篤といい、徳川家定の正室・篤姫の名を憚って、堀田正睦に改名した。
文政8年(1825年)に病弱だった兄・堀田政愛の後を継いで藩主となった。この時後継者争いが勃発したのだが、この後はとんとん拍子に出世していき、天保12年(1841年)に本丸老中となり、水野忠邦の天保の改革にも関わった。
そんな彼だが、老中就任前の佐倉藩の改革の頃から成徳書院の制や順天堂の開設など、学問、特に蘭学の奨励に励み、「蘭癖」を指摘される人物であった。結果安政2年(1855年)に阿部正弘の推挙を受けて老中首座となったものの、徳川斉昭らから「蘭癖」と呼ばれる。ついには安政5年(1858年)に日米修好通商条約締結の勅許をえるために上洛するが失敗。
一橋派であったためにその後の井伊直弼の大老就任で罷免され、安政6年(1859年)には堀田正倫へ家督を譲った。さらには文久2年(1862年)には謹慎処分となり、そのまま没する。
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