壬生基修 単語

ミブモトナガ

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

壬生基修とは幕末卿である。名前読みは「もとなが」または「もとおさ」。

概要

保6年(1835年)3月7日公家の庭田重基の三男に生まれ、のち壬生吉の養子になる。壬生藤原中御門流の庶流で、格は新に属す。

尊皇攘夷卿として活動。文久2年(12862年)の和宮降運動に携わった岩倉具視久我らを糾弾して追放させた。

文久3年(1863年)2月事寄人に就任。同年7月三条実美らと図って攘夷征・大和行幸を建言したが、8月18日の政変によって一転、官位を剥奪され京都を逐われる身となった。(七卿落ち)

三条同志長州に落ち延び、元治2年(1865年)2月三条らと太宰府に移送される。

慶応3年(1867年)12月王政復古の政変により京都に戻り、翌1月に参与に就任。

慶応4年(1868年)6月会津征討越後口の参謀として出征。

明治後は県知事、東京府知事、元老院議官などを歴任した。

明治39年(1906年)3月6日死去。享年72

関連商品

関連項目

関連リンク

この記事を編集する

掲示板

掲示板に書き込みがありません。

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
吹いたら負け[単語]

提供: 志塔喜摘

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/04/09(水) 06:00

ほめられた記事

最終更新:2025/04/09(水) 06:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。