大橋巨泉 単語

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大橋巨泉とは、昭和テレビ界を代表する名会者である。

概要

青島幸男前田武彦、永六らと並んで「放送作家出身のテレビタレントとしてテレビ放送明期より活躍。
深夜番組というジャンルを開拓した開拓者の一人。また、自身の趣味でもあるギャンブルゴルフ釣り旅行テレビ番組企画として組み合わせ新基軸の番組を数々作り上げた。
毒舌タレントの元祖的存在であり、この流れは後にビートたけし和田アキ子有吉弘行らが継承している。

経歴

1934年東京生まれ。本名・大橋己。
実家ではカメラの部品製造や小売を営んでおり、生が同業者であった萩本欽一とは幼少期より顔見知りであった。

芸名の「巨」は、早稲田大学に進学後行っていた俳句を詠む際につけた自身の俳号に由来する。

早稲田大学中退後、ジャズコンサート会やライターとして活動を始め、その後まだ明期だったテレビ業界で放送作家となる。

そんな中、深夜番組のはしりである「11PM」(日本テレビ読売テレビ)が低視聴率で大幅リニューアルをしようとした際、巨が新会者をオファーしに回ったもののも引き受けてくれる人が現れないという事態に陥る。そんな折、番組の構成が時事問題など硬な内容であったことに疑問を呈し、当時の番組プロデューサー「こんな番組やってちゃ視聴率取れませんよ。何だったらオレがやるよ」と言い、会者デビューすることとなる。巨は「11PM」の企画に自分の趣味を持ち込んで、番組のリニューアルを見事に成功させた。

以降、七三分けにメガネ、そして少し傲慢な態度で毒舌ながらも巧みな会術でお茶の間の人気者となる。放送作家出身ということもあり、会者でありながらプロデューサー的気質も強く、「11PM」、「クイズダービー」(TBSテレビ)、「世界まるごとHOWマッチ」(毎日放送)、「ギミア・ぶれいく」(TBSテレビ)などのな出演番組で番組の企画立ち上げから関わっていた(※『HOWマッチ』『ギミア・ぶれいく』は共に番組制作会社のイースト(現イーストエンタインメント)が制作を担当)。『ギミア・ぶれいく』内で生まれた有名な企画として「徳川埋蔵金」や「世界一ドミノ倒し」(成功した際には毎回ギネス申請をしていたが、失敗してもそのまま放送していた)などがある。また、『いせえるすまん』をアニメ化した『笑ウせえるすまん』は子Aの代表作となるほど人気を博した。
今なお続く「24時間テレビ」(日本テレビ)も元々は「11PM」の中で放送された硬企画「巨・考えるシリーズ」がルーツであり、この縁で第1回の総合会を務めた。(なお、巨現在の「24時間テレビ」の在り方について非常に批判的な立場を取っている)
また、パイロット万年筆テレビCMアドリブで発した「はっぱふみふみ」は流行語となり、経営難に陥っていた同社の売り上げを飛躍的に伸ばして経営を立て直したという。また、「これなんちゅーメン?」というハウスシャン麺のCMも流行し、同商品の売上を後押しした。

評論家として、ジャズ競馬MLBNFLの分野で活動。特に競馬は番組会を務めたほか、馬主にもなったことがある。

予てから50歳でセミリタイヤ」をするつもりで宣言もしていたが、49歳で引き受けた「世界まるごとHOWマッチ」の会が楽しかったことから5年延長すると言、結果的には56歳で出演番組をすべて降して実質的な隠居生活に入る。
しかし、その後もビートたけしタモリ石坂浩二島田紳助などつながりの深かった後輩タレント会番組にお前の番組に出てやる!」タモリ談)と言っては年に数回テレビ出演を行っていた。

タレント業の副業として1973年から行ってきた土産物店「OKギフトショップ」の経営がセミリタイヤ後の本業となった。毎年にはオーストラリアニュージーランドにはカナダに定住する生活を送い、日本に帰するテレビラジオへのゲスト出演を行っていた。

また、2001年参議院議員選挙民主党から例代表で出し、当選して参議院議員になったものの、民主党のあまりに反民主的な政治手法に絶望して日本民主党がこれほどまでに反民主的な集団とは思わなかった」という言葉を残しわずか6カで議員辞職している。ちなみに巨を政界から追い出した本人は巨民主党と言わしめた後の保守新党代表・熊谷で、熊谷は次の総選挙で味方のはずの自民党から事実上の刺客補を立てられ落選し政界引退を余儀なくされた。
政治思想は民主社会主義(左)であった。本人は反体制の立場をとっていると否定するが、民主党政権時には擁護する立場をとっている。マスコミ九条の会の呼びかけ人であった。 

ちなみに、藤子不二雄Aの代表作でもある「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造モデルは巨である。のちアニメ化した際も巨会を務めていたワイド番組「ギミア・ぶれいく」内であった。

晩年はガンを何度も患い、往年の丸々とした体のようにやせ細っていった。
それでも「クイズダービー」の復活企画を「中居正広金曜日のスマたちへ」(TBSテレビ)で放送した際に往年をばせる会ぶりを見せるなど、その実力を誇示した。
2016年2月4日放送の「徹子の部屋」(テレビ朝日)で、永六とともに番組開始40年突破という記念すべき回に出演したものの、それが生前最後のテレビ出演となる。
2016年7月12日、82歳でその生涯を閉じた。

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