大館氏明 / 大舘氏明(?~1342)とは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将である。
大館氏は新田政義の庶子大館家氏に始まる新田氏の庶流である。大館氏明は1336年に南朝方の伊予守護に任じられ、翌年伊予に入る。これに対して幕府からは岩松頼宥が派遣され、細川頼春とともに攻め寄せてきた。大館氏明は国司の四条有資とともに迎え撃ち、頼春を讃岐に追い返したが、1338年岩松頼宥に新居郡を制圧される。
そこで大館氏明は1342年に後村上天皇に援軍を求め、新田義貞の弟である脇屋義助が派遣されてきた。氏明は義助を大将に土井氏、得能氏らと細川頼春討伐を計画するが、脇屋義助はこのタイミングで病死してしまう。そのすきを狙って細川頼春は挙兵。氏明は世田山城に入るが多勢に無勢であり、自害を遂げた。
大館氏はその後息子の大館義冬が佐々木道誉に取り立てられ、幕府に出仕し、奉公衆五番番頭を務めるなど将軍近衆として室町時代末期までその姿を見出すことができる。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2024/09/08(日) 18:00
最終更新:2024/09/08(日) 18:00
スマホで作られた新規記事
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。