天野宗歩(天野宗步、「あまのそうほ」又は「あまのそうふ」)とは、江戸時代の将棋棋士である。七段。十三世名人関根金次郎によって棋聖の称号が公式に認められている。
大橋宗金(十一代大橋宗桂)門下。但し、技術的には六代大橋宗英の弟子大橋柳雪に負うところも多いと言われる。
弟子には、四天王と言われた市川太郎松、渡瀬荘次郎、小林東四郎、平居寅吉を始めとして3000人と言われる多くの門下生がいる。特に小林東四郎(小林東伯斎)から阪田三吉や井上義雄の孫弟子を通じて、タイトル保持者も含め現代に至る多くの棋士を輩出している。また、十二世名人小野五平も、十一代大橋宗桂から免状をもらう以前に一度宗歩に習い、本人も宗歩門下と自称していた。
文化13年(1816年)生、 安政6年5月13日(1859年6月13日))没。幕末に活躍した棋士である。将棋三家の出身でなく、また44歳と若くして死んだため、段位こそ七段[1]であったものの、当時の名人と互角以上に差し、後世で「実力十三段」「棋聖」と言われる強さを見せた。将棋の棋聖戦は彼の呼称に因む。羽生善治も史上最強の棋士として升田幸三と共にその名を挙げている。それぞれ、「江戸時代」「戦後まもなく」という時代において21世紀の将棋でも通用するセンスを持っていた無二の存在という理由である。また、名人、八段への道を断たれた後、将棋三家とは別に独立して活動し、多くの弟子を育てた。
盤外では素行が必ずしも良くなかったことでも知られ、その最期については変死であるという説もある。
天野宗歩に関するニコニコミュニティもしくはニコニコチャンネルを紹介してください。(特にない場合はこの部分を削除してください)
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2023/06/02(金) 23:00
最終更新:2023/06/02(金) 23:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。