東洋哲学の太極思想を体現しているとされこの名がつけられている。河南省陳家溝の陳一族の間で、家伝の武術であった陳家太極拳を起源とし、のちに楊家太極拳など様々な門派に発展していった。中国武術の中で最も普及した拳種だといえるだろう。
太極拳は動作の要求は非常に難しいため、套路(型)をスローペースで行う慢練という練習方法で練る場合が多いが、これは実際の使用において快速で動かないということではない。スポーツの場合でも例えばゴルフなら、正しいスイングを身につけるためにゴルフクラブをゆっくりと振るスロースイングは、しばしば行われていることであり、他派の武術においても慢練はべつに珍しくない稽古法である。慢練は意識と動作の一致、意念にフォーカスした有用な稽古法といえる。
その源流である陳家太極拳では、動作に緩急をはっきりとわけて套路を打つ(型の稽古)ので、他派の太極拳と比べ発勁動作(陳家溝では「爆発力」と称する)であると門外漢に理解されやすい、突発的で激しい動作や震脚がみられるが、他派の太極拳にこれらの特徴が全く無いというわけではない。
例えば以前は殆ど知られていなかったが、楊家太極拳には陳式を思わせる風格の小架式のほかにも、第二路「二套砲捶」や「太極長拳(第一路 頭套拳とは異なる)」など、いくつかの套路を伝えている伝人がおり、これらの表演(演武)は緩急を強調させた快練で行われ、素速い剛的動作や震脚がみられる。また呉式太極拳には速さを身につけるための専用の快架套路を伝える会派もある。これらが注目を浴びなかったのは、一般には隠していたというのもあるだろうが、太極拳に限らず内家拳は高度な段階となるほど威力のほどは見た目からは判断が難くなり、動作の際に音を発さなくなるという傾向から来たものと思われる。
かつて、日本における中国武術の著名な第一人者であった松田隆智は、『楊家太極拳が武術として優れていたのは、楊露禅一代である。 何故ならば楊家太極拳には陳家のものにみられる纒絲勁や発勁がなくなっている。 その原因は楊露禅が異民族である清朝皇族やその臣下に教授した時に 故意に肝心な点を隠したことと、 文人や学者が体育的に練習したために武術としての優点が消えてしまった。 そして、その本質を失ったものが北京を中心に大流行したのであり 現今行われている大部分のものは武術としての価値はない』とまで言い切ったが、このような説は情報が乏しかった時代の狭い見識に元ずいた途轍もなく誤った偏見であり旧い認識である。
実際には、楊家太極拳の開祖楊露禅の子、楊班侯もまた実戦名人であり、「陳家の拳を楊家が伝え、楊家の拳を楊班侯が伝えた」「太極拳は楊露禅が天下に創り、楊班侯は天下を打ち、楊健侯と楊澄甫が天下に伝えた」とまでいわれている。
■十三勢 - 手法の八門と歩法の五歩を合わせた太極拳の根幹的な教えのこと。
『掤(ポン)、捋(リ)、擠(チ)、按(アン)、採(ツァイ)、挒(リェ)、肘(ヅォウ)、靠(カオ)、進(ジン)、退(ドゥエ)、顧(グ)、盼(バン)、定(ディン)』の13の字缺で表わされている。掤~肘までは八卦(さらに四正四偶にわけられる。つまり四方八方、全ての方角を顕す)と相合する。進~定は陰陽五行に相合し、それぞれ「前進(火)、退歩(水)、左顧(左向きに転身していくこと。木)、右盼(右向きに転身していくこと。金)、中定(その場に停止した状態のこと。土)」となっている。「左顧右盼」とは中国語の熟語であり、周囲を見回すことをいい「右顧左盼」とはいわない。
■十要 - 太極拳の基本的な原則。
1:虚霊頂勁(上から吊し上げられたような感じで顎を引き、首、うなじを伸ばす)、2:含胸抜背(背中を伸ばし胸を含むように立つ)、3:鬆腰(腰と胯(クワ、股関節)の力を抜く)、4:分虚実(虚実分明とも称す。虚とは実体の無いもの。実とは実体のあるものをいう。体重のバランスや身体の各個重心の配分であったり、技を使用する際の要領として、虚と実は必ずわけて用いよと述べたもの)、5:沈肩墜肘(肩を下げ肘を自然に下ろす)、6:用意不用力(意を持って技を用い稚拙な力に頼らない)、7:上下相随(動作の際は肩と胯、肘と膝など上半身と下半身は相互に随伴させること)、8:内外相合(内三合と外三合の一致を求める。内外六合は形意拳の記事で詳しく解説している。簡単にいうと精神と肉体を一致させよという教え)、9:相連不断(全身を連動させ途切れることなく動くこと)、10:動中求静(動作した状態の中にも、静止したときと同じようにバランスのとれた状態を求める。静止した状態の中にもいつでも動作出来る居着かぬ状態を求める)。
■敵不動我不動、敵欲動我先動(敵が動かないのであれば自分もまた動かない。敵が動こうとするなら自分はその先を征する。実際の戦闘の際であれば、競技の場などではないのであるから、たとえ互いに様子を窺うお見合い状態となったとしても交戦とはならず、それで収まれば大変結構なことで悪いことではない。我が動くなら敵の攻め気を察して対応せよ)。
■無招勝万招(技になにもこだわりのなく、まるで技など無いかのような境地に達すれば、たとえ敵から何万という技を奮われたとしても、必ずや打ち勝つことが可能である。これは即ち随意無形の技であり、このシチュエーションではこの技を使おう、こう来たらこう返すと固定された用法にとらわれたものではない。なにが起こるかわからない実戦の場では、常に変化する戦局に臨機応変に対応する必要がある。そこで技の選択などに拘わっていては、戦うことすらおぼつかない。技はそのときの自分の手に任せる。無論、なんの用法にも習熟せず、稽古もしていないなら絵に描いた餅に過ぎない)。
推手とは、英語ではプッシュ・ハンドと言う通り、手で互いの身体を推し合うことで安全に攻防を行い、相対的に実力を比較検証することで、自己の内勁、反応力、バランス力の確認を行い、それらの養成をはかる中国武術で広く行われている対人訓練である。伝統的に言えばこれを行えば化勁、聴勁など太極拳の戦闘法の基礎が身につくのである。
相手と自分とで交わされる途切れない力の循環を味わうことで心地良さを感じ、身心をリラックスさせる養生法としても優れたものである。
推手は太極拳において必須の練功法となっているが、太極拳の源流であった陳氏太極拳では、古くは推手とは呼ばずカツ手と称し、その練習内容も現代で見られる一般的な推手とは異なり、打撃や投げ技も用いられる自由攻防の要素がある一種の用法対打に近いもので、稽古には怪我の危険も有りうるものであったようだ。現代の中国で行われている太極拳の競技推手においても、台湾のルールにおいては禁止とされている、相手の脚を引っ掛けて強引に転ばす、相手を掴んで背負い放り投げるなどの荒々しい技法が許可されている。
■単推手 (片手推手)
ここでは一例として楊家太極拳の推手の初歩である、単推手を解説する。最初に注意としては、やたらと力んで硬く力をぶつけ合わそうとはしないこと、つまり極力柔で剛を制することを心がけるようにして欲しい。相手から推されて手を引く際は自分からは引こうとはせず、相手の推して来た圧に乗じて自然と自分の手も動かされているかのように応ずること。相手と触れ合っている手首には、柔らかくとも常に一定の圧が掛かるように心がけ、脱力などと誤解してまるで腑抜けのように、何の力にも欠けた状態であってはけしてならない。身体から外に向けて力が張り広がっていくかのような、推されたとしても弾力の保たれた体勢を維持することである。単推手という対練を成立させ有意義なものとする為には、互いが触れ合った手を離さないように動作させることが前提条件であり肝要である。
甲と乙は、弓歩で軸足を互いの内側の交差させた位置に置いて向かい合って立ち、次に互いに左立掌(右脚前の場合は右立掌)を前方に差し上げて手首を交差させ触れ合わせる。これを塔手といい単推手の準備状態である。この時、右手は掌心を下方に向け、腕を側方に適度に伸ばしてカウンターバランスとして用いるか、自然と垂らしておく。
甲は前腕部を内旋させ乙の手首を抑えながら、乙の胸元ないし首元に手指を指し向けるようにして推してゆく。この時、甲は体重の殆どを軸足に乗せ、膝が爪先より前に出ない範囲でやや前傾姿勢となる前弓歩の姿勢をとる。
対する乙は、甲の推して来る圧に乗じて後屈し、後座式となりながら軸足を右脚に移し、左足の爪先を上げ、左足は踵で接地する姿勢に移行させて、甲に推され間合いをつめられた分の距離を離す。これと同時に乙は甲の推してくる力に対し、こちらも一定の圧をもって抑えつつ、甲の推してくる動作に従って身体を左方向に廻すことで、甲の自分の中心に向けて推してくる圧力を側方に逸らして無効化する。
最初はこの一連の動作を互いに何巡か繰り返し行い、疲れたのなら身体の左右を変えて同様の要領で稽古する。
推手を練習して身体に習熟させる具体的な意義は、実際の応敵時に生じる姿勢と重心の変化を、一定の約束下での動作を限定した対練を用いることで、自由組手や用法対打と比べて大幅に危険性を抑えながも、その要点を効果的に体感させ、これをバランス力の向上と円滑な動作の修得に繋げ発勁と攻防技術の基礎とするのである。また動作する際にどうしても生ずる所々で力の弱くなる局面を確認し、途切れることなく掤勁が働いているかどうかを手軽に検証出来るメリットも大きい。
推手での自由攻防は力ずくて行っても全く構わないのだが、極力太極拳の要訣に沿った動作であることを心がけて欲しい。たとえ自分が勝った形となったとしても、相手を強く推し飛ばしたり掌で胸を強く打つような真似は控えること。相手が推すのに乗じて指や手首を掴んで、強引にこちらに引っぱってしまうような真似も、傍から見たら勝つ為に必死のように思えて見苦しく、大したやる意味も無いのでしない方が良い。これらに注意をはかれば、より安全に推手を楽しむことが可能である。
太極は無極にして生ず。動静の機、陰陽の母なり。
動けば則ち分かれ、静まれば則ち合す。
過ぎること及ばざることなく、曲に随い伸に就く。
人、剛にして、我、柔なる、これを走という。
我、順にして、人、背なる、これを粘という。
動くこと急なれば、則ち急にして応ず。
動くこと緩なれば、則ち緩にして随う。
変化万端といえども理は一貫と為す。
着(技)、熟するによりて、漸く勁をさとる。
勁をさとることによりて、階 (理解)神明に及ぶ。
然るも力を用いることの久しきに非ざれば、
豁然として貫通するを能わず。
頂の勁を虚領にすらば、気は丹田に沈む。
偏せず倚よらず、忽ち隠れ忽ち現る。
左重ければ則ち、左は虚ろ、右重ければ則ち右はくらし。
仰ぎては則ち、いよいよ高く、俯しては則ちいよいよ深し。
進みては則ち、いよいよ長く、退きては則ちいよいよ促す。
一羽も加うるに能わず、一蝿も落つるに能わず。
人、我を知らず、我独り人を知る。
英雄の向かうところ敵無きは、けだし皆これによりて及ぶなり。
この技の旁門は、はなはだ多し。
勢は区別ありといえども、おおむね壮は弱を欺き、慢は快に譲るに外ならず。
力有る者が力無き者打ち、手の慢き者が手の快き者に譲る。これ皆、先天自然の能。
力を学ことに関するに非ずして、為すところ有るなり。
察せよ、四両も千斤を撥くの句を、力に非ずして勝つこと顕らかなり。
観よ、耄耋(老人)の衆を御するのさまを。
快なるも何ぞ能く為さん。
立てば平準(天秤測り)の如く、活けば車輪に似たり。
深みに偏れば則ち随い、双重なれば則ち滞る。
毎に見る、数年純工するも運化を能わざる者は、
おおむね自ら人に制せらるるを。
双重の病、いまだ悟らざるのみ。
この病を避けんと欲すれば、すべからく陰陽を知るべし。
粘は走、走は則ち粘。
陰は陽を離れず、陽は陰を離れず、陰陽相済して、まさに勁をさとる。
勁をさとりてのちは、いよいよ練ればいよいよ精なり。
黙と識り、瑞摩(研究)すること漸くにして、心の欲するところに従うに至る。
本はこれ己を捨て人に従うを、多くは誤りて近きを捨て遠きを求む。
いわゆる差は毫釐(些細な違い)、誤りは千里なり。
学ぶ者、詳らかに弁ぜざるべからず。
これ論と為す。
全ての太極拳は、元を辿ると河南省温県の陳家溝村に伝えられる陳家太極拳に行きつくが、陳一族が陳家溝村に移住してくる以前に住んでいた地という、山西省洪洞県には、洪洞通背拳(通背纏拳)という白猿系の通背拳とは異なる、長拳の一種とされる拳法が伝わっている。この門派に伝承されている、母拳と子拳という二種類ある套路のうち、母拳と呼ばれる方のより太極拳を思わせる風格がある套路の技法構成が、拳譜としては現存しているが、陳家溝からは練習する者がいなくなって廃れたとされる、108勢長拳という現代の陳氏太極拳の原型になっていた套路のひとつと、内容が非常に共通しており、これをもって源流であるとする説がある。
ちなみに南京中央国術館の流を汲む諸団体には、陳家溝では廃れたとされる太極長拳や四套捶などの古伝の套路を保存している会派もある。余談であるが、近年、洪洞では村をあげて太極拳の故郷を主張して記念館を作り、観光客を誘致しているが、この件で陳家溝と洪洞の村どうしで険悪な雰囲気となっている。また三三拳譜という陳一族に伝えられた秘伝書があるが、これは元々、心意六合拳の拳譜なのではないかという、著名な中国武術史研究家であった唐豪の述べた説もある。それと古来陳家溝では人々が集まって武術を楽しむ催しがあったが、これを少林会と呼んでいたそうである。
つまり陳家太極拳の起源は少林拳に近く、周辺の諸派の武術の影響を受けて成立したものとの説が有力である。あと太極拳という名が広く知られるようになった由来には諸説あるが、一方の述べた一説をもって全くの真実であるかのように書くと、門派の正統性を貶める結果をも招きかねず、また門派の伝承とは一切関わりなきことなので、本記事では信憑性がある事実だとは述べない。呉図南と陳発科の諍いや、武禹襄が実在性すら朧気な王宗岳が書いたという「太極拳譜 別名:太極拳経、太極拳論」などを偶然手に入れ、その既存の拳法の名や基本コンセプトである十三勢を、楊露禅に薦めて採用されたという説は、陳氏の伝承と異なり陳品三の大著「陳氏太極拳図説」で述べることと比べると、格段にスケールが小さな噂話しに思えて疑問である。
陳氏十四世の陳長興は、陳氏の拳を楊露禅に伝えたが、これが楊家太極拳のはじまりとなった。露禅は北京で活躍し、太極拳の名声を高めた。そしてここから多くの太極拳の諸流派が別れていった。太極拳の伝説上の開祖として、張三豊という武当山の道士の名が上げられるが、実在していた人物かも分かっていない。
王征南墓誌銘というものがあるが、その中でも張三豊や内家拳について記述があるので、これを根拠として古い時代から太極拳は存在したという説もある。ただし武当山にもとから伝承されている太極拳は、陳氏太極拳やその系統の太極拳とは技法内容がまるで異なっている(十三勢とつくものは一般的な太極拳に近い)。余談だが、武当山の武術に太極拳から別れたという、太虚拳という拳法があり、中国では盛んだが日本では殆ど普及されていない。それと中国の新聞には武当山の道士が楊班侯と二度試合して負け、一門でその教えを受けたという逸話が掲載されたとする噂も武術家たちから聞くが、ソースが確かめられず真実かどうかはわからない。
外家拳、内家拳の区別は、一説には、仏教僧として出家した者が練る拳が外家拳、内家拳は道教の道士が練った拳を内家拳と称したらしい。内家拳の代表格は、太極拳、形意拳、八卦掌の内家三拳であるが、国共内戦以前の中華民国における中国武術の統一組織であった、南京中央国術館では武当門としてカテゴリーされ、これに心意六合八法水拳が加えられていたが、その教授は優秀な拳士の中から特に選ばれた少数の者にしかされず、水拳の全伝を継承した者が突然事故死したため、現代には全伝は残っておらず、残された套路が稽古されている。
中国武術では、内家拳が外家拳に優る、あるいは北派の武術が南派の武術に優るという優越論争があるが満洲族のエリートたちが教わった武術が、劣等民族である漢民族の武術に優る、あるいは中央から離れた南方の武術が劣っているなどの偏見や見識の狭さが反映されたものであり、実情には全くあっていない。外家拳といわれる拳法も内功が重視され、内功は内家拳の専売特許ではない。某、拳児のような漫画の虚構から中国武術を短絡にとらえようとするとあまりにも無理がある。
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最終更新:2024/04/25(木) 13:00
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