「太田資正」(おおた・すけまさ 1522 ~ 1591)とは、関東の戦国武将である。
「わが国の大小の名将中で、主君謙信と太田三楽に及ぶ者はない。」
と言わしめた知勇兼備の弓の名手にして、軍用犬を正式採用した戦国時代のトップブリーダー。出家後は「太田三楽斎」と名乗る。
清和源氏の末流と言われる太田氏の太田資頼の子に生まれる。曽祖父は足軽戦法を正式採用した太田道灌。
父と共に岩付城にて扇谷上杉氏の上杉朝定に仕えていたが、父が死んで犬猿の仲である兄・太田資顕が家督を継ぐと、岩付城を飛び出して嫁の実家である難波田憲重の松山城に身を寄せた。
天文十五年(1546年)、主君・上杉朝定に従って河越夜戦に参加するものの、北条氏康の策により連合軍は大敗、上杉朝定は戦死して扇谷上杉氏は滅亡してしまう。松山城を奪われた後は、上野・金山城の由良成繁にところに居候し、北条氏康が里見義堯を攻める隙をついて松山城を奪還した。
犬猿の仲だった兄・資顕が病死すると、城主のいない岩付城に乗り込んで家督を継いだものの、太田氏の家臣の多くが北条氏についたうえに、松山城を任せていた上田朝直も北条氏康に城を明け渡してしまう。孤立無援の岩付城を包囲された太田資正は北条氏康に降伏し、臥薪嘗胆の日々を送った。
清和源氏の末裔とあって、戦国時代のガラハドこと古河公方(こがくぼう)・足利義氏の下に置かれ、長男の太田氏資には娘を娶らせるなど北条氏康からは厚遇をうけたが、主家滅亡の復讐の炎は燻り続けていた。この状況は十年以上続いていたが、永禄三年(1560年)、上杉憲政の養子になり正式に関東管領を継いだ軍神・上杉謙信の関東出兵の際に、遂に資正は後北条氏より離反し、上杉軍の先鋒を務めることになる。上杉軍は小田原まで進撃したものの天下の堅城・小田原城は落ちずに軍神は撤退するも、以降資正は後北条氏との敵対路線を明確にした。
その後も、織田信長と誼を交わして畿内にも名が知れる活躍をしていたものの、里見義堯と組んで北条氏康と戦った国府台決戦(1564年)に敗れた上に、北条氏康の娘婿であった長男・太田氏資に叛かれて岩付城を追放される羽目になってしまう。居城を追放された後は佐竹義重を頼り、小田氏治を破る等して武蔵国を奪還する機会をうかがい続けた。
時代が下り、天下人・豊臣秀吉が小田原征伐にやってくると、秀吉に謁見して慎重論を唱えたものの、あまりに慎重論すぎて失笑を買ったらしく、秀吉より、太田資正が関東の覇者になれなかったのが不思議だと嫌味を述べられたりもしたが、小田原征伐により後北条氏が滅亡するのを見届けると、戦う相手が居なくなって今生に未練がなくなったのか病没した。享年70歳。
※その他「太田資正」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
太田資正は、岩付城と松山城を領有していた頃に、それぞれの城で50匹ずつ合計100匹にも及ぶ犬を飼っていた。
あまりの犬好きにより犬とじゃれあう事もしばしばであった事から家臣達から「こいつ大丈夫か?」と思われる事もあったらしいが、そんな事は「大鳳の心知る者なし」とばかりにそれぞれの城で飼っている犬別に、二つの城の間を連れて行きかい、有事の際には「犬を解き放て」を命令していた。
まもなく太田資正が岩付城に居る時に、北条氏康が松山城に攻め込んでくると、岩付城に送ったザリガニ使者はすべて風魔の手の者によって葬られていき、松山城は風前の灯火となったが、ここで犬を解き放つ事を思い出した松山城の家臣達は、犬に竹筒をつけて救援を乞う書簡をいれて解き放った。
さすがの風魔も犬には気づかなかったのか、松山城から解き放たれた犬はまっしぐらに岩付城の太田資正の下へと駆け込み、急を知った太田資正は松山城に救援を送り、北条勢を駆逐したと言われており、その後も連絡役に犬達は活躍したらしいのが、日本初の軍用犬「三楽犬」を用いた「三楽犬の入替え」と呼ばれるエピソードである。
なお、太田資正の曽祖父・太田道灌は、名のりの後の一騎打ちがメインとなっていた当時の戦争にあって、訓練された足軽による集団戦術をもって撃退する戦法を始めて採用・運用したと言われており、人と犬の違いはあれ、日本初の軍事的運用を太田氏の血族である二人が行ったことは何かの縁なのだろうか。
Ver1.2他家で参戦。やはりというか背景には犬が映っている。スペックはまあまあと言ったところ。
計略の「三楽斎の鬼気」は、相手の武力を上げそれに応じて自分の武力が上がる。勇猛果敢の亜種。
真柄の大太刀と違ってこちらは一定以上で移動速度と突撃ダメージが上がる。
しかしながら他家の2.5コストは龍造寺隆信、長野業正、斎藤義龍とデッキの主軸たる武将が集う激戦区のため彼の雄姿を見ることは少ない。三楽斎の鬼気は真柄の大太刀とは違い武力がそこまで上がらないのもあり乱戦にもあまり向いてないというのもある。武力8騎馬だけなら2コスに赤池長任もいるしな…。
なお息子の梶原政景も同時に1.5コストの騎馬隊で登場している。制圧持ちの1.5騎馬は他家では彼だけなので独自性はある。
ニコニコ動画では「信長の野望革新」において、武田・上杉・北条・佐竹に挟まれた状態でスタートして即滅亡する時報代わりの恒例行事な事に定評がある。
▼泉こなた達の高校の近くにある岩槻城を舞台にした「らきすた☆立志伝」に登場。
※岩槻城主の座を開始即こなたに譲る。その後は「太田さん」と呼ばれて親しまれている。
▼戦国時代に飛ばされてきたアイドル達が終結する太田家当主として登場する「戦国アイドルマスター」
※お約束の「開始即滅亡」の危機を坊主外交を駆使して回避したら太田家のターン!
▼独特の命名センスを持ち、戦争より犬が大事な戦国のトップブリーダーとして登場する「がんばれ氏康くん」
※愛犬の名前は「ヘンリー」「ミルドレッド」「スコット」「権作」
▼「信長の野望革新PK」地方別武将ランキング関東編に、統率1位・総合5位で登場。
北条早雲、北条氏康、太田道灌、佐竹義重、長野業正らはチート枠で登場。
「信長の野望」(PC)シリーズにおける太田資正(太田三楽斎)の能力一覧。
さすがの高能力。近年は知略が強化されており戦闘面では隙が無くなっている。ほぼ全シナリオで活躍できる寿命の長さも魅力的。作品によっては北条氏康に対して嫌悪設定がついていて北条家では登用不可能。大名としての登場は嵐世紀以降だが、大抵北条家の前に為す術もなく滅亡させられる運命にある(→時報)。
余談。mobageの「100万人の信長の野望」では、通常のバージョンとは別に満面の笑みで犬とじゃれあっている資正も登場している。微笑ましい。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 72 | 政治 | 69 | 魅力 | 62 | 野望 | 64 | 教養 | 56 | ||||
覇王伝 | 采配 | 72 | 戦闘 | 76 | 智謀 | 55 | 政治 | 62 | 野望 | 64 | ||||
天翔記 | 戦才 | 152(A) | 智才 | 114(B) | 政才 | 124(C) | 魅力 | 73 | 野望 | 79 | ||||
将星録 | 戦闘 | 77 | 智謀 | 63 | 政治 | 60 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 68 | 戦闘 | 66 | 智謀 | 57 | 政治 | 52 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 73 | 智謀 | 52 | 政治 | 45 | 野望 | 73 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 73 | 知略 | 57 | 政治 | 45 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 76 | 知略 | 62 | 政治 | 45 | 教養 | 54 | ||||||
革新 | 統率 | 88 | 武勇 | 74 | 知略 | 78 | 政治 | 50 | ||||||
天道 | 統率 | 88 | 武勇 | 74 | 知略 | 83 | 政治 | 50 | ||||||
創造 | 統率 | 82 | 武勇 | 70 | 知略 | 84 | 政治 | 52 |
掲示板
29 ななしのよっしん
2016/03/07(月) 11:52:52 ID: vAQ397uvlh
佐竹がやり手だったんじゃないかな。
秀吉の後ろ盾を得て、わずかな間に国人や有力豪族を殲滅した義重・義宣の手腕は見事だったしね。
30 ななしのよっしん
2016/10/13(木) 19:28:14 ID: fNVgnNJud1
一番槍よ組み打ちの記録から想像すると、激しく戦い過ぎて手持ちの槍が頻繁に壊れるから、結果的に素手や短刀で戦う機会が増えたって感じがする。
31 ななしのよっしん
2024/02/29(木) 09:03:37 ID: Y/1svgV5y8
戦国大名になれる器だけど、扇谷もろとも地盤が弱体化してしまったのは如何ともしがたい
急上昇ワード改
最終更新:2024/03/29(金) 09:00
最終更新:2024/03/29(金) 09:00
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