姫路市企業局交通事業部は、かつて存在した公営の鉄道事業者およびバス事業者。
バス事業のほか、モノレール事業・索道(ロープウェイ)事業も行っていた。
総延長約2km、姫路駅と、手柄山中央公園を約10分で結ぶモノレールを運営していた。
跨座式モノレールの方式のひとつである「ロッキード式」を採用していた路線だった(日本国内では、小田急向ヶ丘遊園モノレール線もこの方式であったが、向ヶ丘遊園モノレールも2001年に廃止されたので現存するロッキード式モノレールは存在しない)。
1966年、姫路市の手柄山で開催された「姫路大博覧会」へのアクセスを担う路線であったが、開通が会期後半であったこと、博覧会終了後は乗客数が激減したことにより、1974年には運行を休止、1979年路線廃止となったが、長らくの間線路が放置されていた。
終着駅の手柄山駅は、「姫路市立水族館」を包括する形で「手柄山交流ステーション」として現在保存されており、当時の車両である「200形」もそこで静態保存されており、開館日であればいつでも見学することが可能。
当初の計画では飾磨・広畑の工業地帯を通る環状線、そしてゆくゆくは鳥取へ路線を伸ばすという壮大な計画もあったが、結局達成することは無かった。
このモノレールで特筆すべきは唯一の中間駅であった「大将軍駅」であろう。
この駅はなんとマンションの中にあったのだ。開業と同時に、日本住宅公団(現:UR都市再生機構)の「高尾アパート」として建てられ、その建物の3階・4階部分が吹き抜けになっており、そこに線路・ホームが存在していた。
同建物内にはビジネスホテルも入居していたが、既に閉鎖している。
阪神大震災後で倒壊することは無かったが、震災後の耐震診断で、再び阪神大震災級の大地震が発生した場合確実に倒壊することが判明。当初は補修工事も検討されたが、UR都市再生機構はコスト面の問題から存続を断念し解体することを決定。それに先立ち、モノレール開通50年となる2016年、抽選で当たった者に対し見学会が行われた。
1946年の組織発足と同時に運行開始。最盛期には22路線44系統、総営業距離約105kmの規模を誇っていた。
発足当初は終戦直後の混乱期であり、民間バス事業者のストライキが多発し市民の足に多大な影響が幾度と無く発生していたことから、当時の市長が市営のバスを作るべきと提唱し交通局が設立された。
発足当初は姫路市をテリトリーとする民間事業者のひとつである神姫バスも歓迎ムードで、市のバス事業参入に対し寛容に受け入れていたが、1960年代に入ると市内での縄張り争いを巡り競合路線が出来る構図になってしまった。
その頃にはモータリゼーションの影響で乗客数の減少が進んでおり赤字路線を抱えてしまう。そこで1972年、合理化として国道2号線の南側は姫路市が、国道2号線の北側と郊外路線は神姫バスが運営すると縄張りを明文化させ、お互いのテリトリーの路線を交換することになる。
その後も合理化として神姫バスに対し路線を譲渡し姫路市は次第に路線を減らしていく。そして2010年、残っていた全路線が神姫バスに完全譲渡され、姫路市は交通事業から完全に撤退、同時に企業局交通事業部も解散する。
1958年、同市内の山「書写山」に「書写山ロープウェイ」が開通。営業距離約800m。山麓と山頂を約5分で結ぶ。同山中にある「書寫山圓教寺」へのアクセスを担う。
2006年に運営が姫路市観光交流推進室に移管され、指定管理者を神姫バスに選任。これで姫路市企業局交通事業部は鉄道事業から完全撤退。
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最終更新:2025/12/09(火) 19:00
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