「孟節」(モウセツ)とは、三国志演義に登場する架空の人物であり、脳筋に定評のある南蛮王「孟獲」や孟優の実の兄である。
架空の人物なので登場しない。
反乱を起こした南蛮王の孟獲に対して軍を率いた諸葛亮が、孟獲を四度捕らえて四度とも開放しながら南蛮の奥地へと進んでいた際に、脳筋揃いの南蛮では一番の知恵者と言われる朶思王が孟獲に協力することとなった。
自らの治める禿竜洞を決戦の地に選んだ朶思王は、禿竜洞へと向う二本の道のうちの安全な方の道をふさぐと、諸葛亮の軍は険しい岩山と毒蛇等が待ち構える密林や、硫黄が噴出す道を進みんでいた。
しかし、先行していた王平の軍からの連絡が途絶えると、後を追った関索が、
と言う毒泉に阻まれて王平軍が九割も被害者をだしていた所に、諸葛亮は泉の毒にあたった旅の者達を治療している人物「万安」の存在を知った。
隠者万安の住む万安渓を訪れた諸葛亮らは、万安が快く協力してくれたことで兵士達を治療することができたのだが、先に進む際の水の手配について助言する万安に対し、諸葛亮がその本当の名前を聞くと、万安の本当の名は「孟節」と言い、孟獲と孟優の兄として生まれたものの、欲求にストレートな弟達と違って善政を敷くべきだと考える平和主義者だった為、孟獲が南蛮王となると、孟節は野に下って万安渓に棲む隠者「万安」になった事を告げた。
劉禅に対して孟節を南蛮王とするよう奏上して恩に報いようとした諸葛亮だったが、富や権力を求めない孟節は丁重に断った。
孟節の治療で助かった兵士達が体力を回復させると、諸葛亮は懇ろに礼をしつつ南蛮の奥地へと向うのだった。
その後、諸葛亮に七度捕らえられた孟獲が蜀に心から降伏し、再び南蛮王として治める事になったが、その後の孟節について語るものは無い。
※その他「孟節」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照
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5 ななしのよっしん
2018/09/09(日) 17:47:03 ID: g5GqW1LhTt
こいつが兄として孟獲・孟優を誅殺せず逃げた結果
何十万単位の南蛮人と数万程度は蜀兵が死にましたとさ
こんなののどこに諸葛亮は人傑扱いする要素があるんだろうか?
6 名無し
2022/04/02(土) 16:36:52 ID: PjSldUlsfq
動物みたいな連中と比較して「人物である」と評しただけであって格別に優れているとまでは考えてないでしょ。
そもそもが蜀視点で都合の良い創作だし多少の突っ込みどころは流さないとね
7 ななしのよっしん
2022/04/29(金) 11:18:42 ID: g5GqW1LhTt
そうだな、呂凱(平蛮指掌図)がなければどうなったかもわかん状況で南蛮攻め込んでみたり
阿会喃と董荼那がどうなるかの想像もできない諸葛亮さんの人を見る目だから、孟節がすごい奴に見えるのは仕方ないことだな
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最終更新:2024/04/19(金) 09:00
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