シュエシーレイホンハオバンヤン
中国人民共和国の青年「雷鋒」を讃える楽曲。彼の記念日「学雷鋒紀念日」である3月15日に、毎年中国各地で当曲が歌唱される。中国人民の殆どは東方紅・我愛北京天安門と同様に当曲を認知している。
日本でいう二宮尊徳(二宮金次郎)的な存在。湖南省長沙市出身の中華人民共和国の軍人・中国共産党青年団員。1940年12月18日生、1962年8月15日没。レイホン(Léi fēng)と読み、本名は雷正興。
幼少期に両親を日本軍と地主に殺され、兄を児童労働で亡くし、孤児として生きる。人民解放軍入隊後、勤勉かつまじめに兵役を務めたことはもちろん、老人や子供を助け、質素な生活で貯金したお金を被災地に寄付したり、現場工事に行って義務労働に参加したりする……などの数々の善人エピソードがあり、全く以って非の打ち所がない存在とされる。弱冠21歳の時、撫順市で電柱建設作業中に軍事用トラックに轢かれ亡くなる。
死後一年後、彼の日記が発見された。林彪の紹介を通じて、彼の模範的な共産党員・軍人モデルという美談が広まった。これ耳にした毛沢東は、1963年3月5日を「雷鋒同士に学ぶ日」と制定し政治的キャンペーンを行う。大躍進政策の失敗を克服しようとし、文化大革命期間中もスローガン「向雷鋒同志学習(雷鋒同志に学ぼう)」が繰り返し提唱された。これを発端とし、今日まで何度も政治的宣伝に利用されている。
出生地の長沙市と殉職地の撫順市には雷鋒記念館なるものが存在する。
掲示板
1ななしのよっしん
2018/09/13(木) 12:48:59 ID: HnaFia1me9
中国に置ける無私と善意の象徴、ツッコミどころが非常に多く
・善行をひけらかさなかったとされる、が常にカメラマン同行で「善行」を撮影させている
・懐中電灯で毛沢東選集を読む、しかしよく見ると外は昼間である
・寄付を惜しまなかった、その寄付総額は当時の中国軍人の平均収入を大きく超えている
・節約家とされていた、が高価な外国製の服や時計を好んで身に着けいていた
・毛沢東選集を呼んだ所、散髪と手榴弾投げの技術が向上した、等々
大躍進政策の失態を糊塗するためのプロパガンダだったが、これらの内容を中国人民はまったく疑わず
長く英雄、若者の手本とされていた
雷鋒生家は保存されており居室には雷鋒の母親が自殺(夫に死なれたり生活苦が原因とされる、つまり雷鋒一家は全滅している)に使ったとされる
腰掛け台と梁には首吊り用の縄がかかったまま
その場所には小さな紙が貼ってありこう書いてある
「雷鋒の母親はこのちゃぶ台と縄を使い、自殺しました」
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最終更新:2021/01/21(木) 18:00
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