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富嶽(ふがく)とは、

  1. 富士山の別称
  2. スーパーコンピューターの後継機
  3. 大東亜戦争中、大日本帝國が設計した爆撃機

である。ここでは3について記載する。

概要

大東亜戦争中に日本が設計し、開発中止となった戦略爆撃機。全長46m、全幅63m、全高8.8m、自重42トン。武装は爆弾搭載量20トン20mm機関銃4門。スーパーフォートレスの異名を持つB-29かに駕する巨体で、6基のプロペラで飛行する設計だった。製作担当は中島飛行機。散見される資料によれば爆撃機だけでなく撃機(搭載魚雷20本)や輸送機として運用する計画もあったという。

計画の始まりは1942年。25に搭載された零式偵察機がオレゴン州の爆撃に成功したとの報告が入ってきた。これを聞いた中島飛行機創設者のの中島知久平氏アメリカに直接打撃を与える「必勝防計画」を立ち上げた。その中にはZ機(富嶽)による爆撃が含まれていた。仮称のZはアルファベットの最後に来る事から最終兵器を意味していた。

日本を出撃した富嶽は、当時日本だけが発見していたジェット気流に乗って高度1万mを飛行。1万mまで迎撃に上がれる戦闘機は存在せず、々とアメリカ大陸爆撃する。その後、大西洋を抜けてドイツ及び枢軸国が支配する地に着陸して燃料補給。ここから引き返して再度アメリカ爆撃するか、ソ連爆撃しながら日本へ戻るルートが考案された。

さっそく中島飛行機内で設計が行われた。知久平氏国会議員を務めていたので、予算獲得のために奔走したがもが荒唐稽な夢物語だとして真剣に取り合わなかった。Z機の設計開発は陸軍にも知れ渡ったが、知久平氏の説得にも関わらず反対意見が多数を占めた。政界ではダメだと思った知久平氏は軍関係者へ接触し、自ら執筆した98ページにも及ぶ必勝防計画の冊子を軍首部や高松殿下井上大将に配布して賛同を呼びかけた。19438月に説得成功。一発逆転に一縷の望みを託し、ようやく計画が本格始動する。1944年2月に陸軍と軍需が協同で計画委員会を立ち上げ、正式に富嶽と命名された。設計には、陸軍用と軍用の二種類が存在したと言われている。軍の承認も得て設計に取り掛かったが……。

富嶽のスペックは、当時の日本の技術と工業ではとても再現できないものだった。特にエンジンの問題が深刻だった。非力エンジンしか作れないゆえ、どうやっても富嶽の巨体を飛ばせなかったのだ。仮に高出エンジンを開発できたとしてもレシプロでは結局不足だった。渋々軽量化を行い、爆弾搭載量を15トンに減らした。離陸後にタイヤ1つを落とす案もあった。

そんな中、開発チーム震が走る。1944年7月7日に守備隊が玉砕し、サイパンが失陥。絶対国防圏が破綻したことで、最大の支援者だった東條内閣が総辞任してしまった。後任の小磯内閣襲への備えを重視したため、8月に計画中止を言い渡され頓挫。富嶽は闇に葬られる事になった。

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関連項目

掲示板

  • 1ななしのよっしん

    2019/07/17(水) 00:14:21 ID: OOybwvOZW/

    当時の日本の技術じゃ作れないし
    仮にその問題をクリアしても量産して運用出来るだけのがほぼ間違いなくいという悲しみ

  • 2ななしのよっしん

    2019/07/17(水) 13:54:41 ID: yimskWUTsa

    500機量産を計画してたけど、的にダメみたいですね・・・。

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最終更新:2019/08/25(日) 03:00

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最終更新:2019/08/25(日) 03:00

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