富樫政親(とがし・まさちか 1455~1488)とは、加賀国の戦国大名である。
1458年、赤松政則によって加賀北部が奪われたので家臣団に擁されて奪回に乗り出す。(ちなみに両総大将ともわずか4歳)
まもなく加賀北部を奪還すると、1464年に大叔父・富樫泰高の隠居により家督を継ぐ。
領国経営は安定な滑り出しに出るかと思いきや、応仁の乱の影響により弟・富樫幸千代の対立して富樫家は分裂っした。
1~3年にも及ぶ争いで政親は協力者でもあった加賀における一向一揆の勢力を拡大させてしまった。
一向一揆の勢力に恐ろしさを抱いた政親は加賀一向一揆とそれに繋がる豪族を支配下にすることを企てた。
しかし、それを察知した一向一揆側に20万という軍勢で攻められ、朝倉貞景と神保長誠の援軍も一揆勢に阻まれ、家臣・山川高藤・松坂信遠・額景春らの奮戦も及ばず、高尾城で自害した。
これはただの一向一揆ではなく富樫家の内乱の続編とも言われている。
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最終更新:2025/12/09(火) 21:00
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