富田重政 単語

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富田重政とだ しげまさ1554年~1625年)とは、総合武術「中条流」を継承する山崎家出身の剣士で、後に名人越後」として絶賛される実戦でも活躍した富田流の剣豪

概要

室町時代に中条長秀により創始された剣術や小太刀槍術や組み打ちも含めた総合武術「中条流」を本家として伝承する朝倉臣・山崎邦の子に生まれ、富田景政の養子となって富田を継ぎ、富田重政を名のった。

※中条流は実剣豪山崎成が継承した。

前田利家に仕えて100石を給され、前田利家アルピニスト佐々成政の間で起こった末森城の戦いで一番の戦功を立てた。
その後も小田原征伐や関ヶ原の戦い前田軍の将として参加した功から13000石を拝領し、1603年に隠居するも60歳になろうという老齢で前田利常に従って大坂の陣に参戦し、1625年に72歳で死去した。

その他「富田重政」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。exit

名人越後

富田重政は、中条流武術を継承する山崎に生まれ、養富田景政より富田武術導を受けるという武道界の教育を受けた事から達人となり、従五位下・下野守に叙任された後、越後守と改めた事から「名人越後」と称されて賞賛され、その腕前は60歳にもなろうと言う年で参加した大坂の陣において19人の首級を上げる程度の腕前であり、実戦で実力を明している事から恐れられてもいた。

無刀取り

前田利常が富田重政に対して「取りが見たい」と言って真剣を突きつけてを言った時、富田重政は、

重政「これは秘伝につき余人に見せられませぬ。まず向こうの障子から覗く小姓をお下げください。」

と言い、前田利常が障子の方を向いた刹那、すばやく前田利常を奪い取り、

重政「これが取りにございます。」

と答えた。

前田利常の様に「取り」とは素手を受け止める、いわゆる「真剣白刃取り」と誤認している人が多いが、本来の「取り」は、

一、取りとは必ずしも相手のを取らねばならぬことではなく、自分がの折に相手を制する技である。

二、相手を恐れず敵の間合いに入り「切られて取る」覚悟がコツである。

柳生宗矩も言っている組み打ち系の技であり、近世剣道が成立する以前の古流剣術は、組み打ちも取り入れた総合武術であり、こういった相手に組み付いて戦う術も教えていたのである。 

関連動画

剣豪剣豪による剣豪将軍天下統一物語剣豪の野望」に途中参加。

▼「信長の野望革新PK」地方別武将ランキング北陸編にてチートで登場。

信長の野望シリーズ

信長の野望」(PCシリーズにおける富田重政の力一覧。

軍事 内政
戦国群雄伝(S1) 戦闘 政治 魅力 野望
武将風雲録(S1) 戦闘 政治 魅力 野望 教養
覇王 采配 戦闘 智謀 政治 野望
天翔記 戦才 172(A) 智才 90(B) 政才 44(C) 魅力 57 野望 58
将星 戦闘 89 智謀 60 政治 25
烈風 采配 30 戦闘 80 智謀 46 政治 14
世記 采配 71 智謀 33 政治 9 野望 3
蒼天録 統率 75 知略 43 政治 9
下創世 統率 74 知略 43 政治 9 教養 50
革新 統率 55 武勇 95 知略 48 政治 10

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掲示板

  • 1 1番のりじゃ!!

    2010/04/10(土) 17:33:19 ID: lJNVobU5wC

    戸田重政に名前似すぎる…
    戸田の方に勝成という別名があるからまだ良いが…
    っと思ったら、戸田重政は二人いるのだった(苦笑)

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