寺田夏生とは、日本の陸上競技指導者、元・選手である。1991年8月30日生まれ。
長崎県西彼杵郡時津町に生まれる。時津中学校では野球部に入っていたが、長距離が得意だったため教師から陸上競技を勧められたことにより、陸上の大会へも出場するようになる。2006年夏に野球部を引退をしてからは陸上に専念するようになった。
駅伝の名門・長崎県立諫早高校に進学した寺田は、全国高校駅伝に3年連続で出場。2年時には6区で47校中8位という結果を残した。高校卒業後は國學院大學に入学した。
そして、2011年。箱根駅伝で当日の区間エントリー変更によりアンカーを任された寺田は、伝説を作るのであった…。
2011年1月2日、箱根駅伝往路。國學院大學は5区での仁科選手の活躍もあり往路6位とシード圏内でゴールした。
そして、迎えた1月3日。箱根駅伝復路10区を当日区間エントリー変更により走ることとなった。
國學院大学は前日より順位を落とし、寺田はシード圏外の11位で襷を受け取った。何とかチームに初シードをと懸命に前を追い続けた。
そして、ついに8位集団に追いつく。この時点での8位集団は日体大、青山学院大、城西大そして國學院大。この中から1校だけが翌年のシード権を獲ることができないという中、
ラスト1kmの日本橋を過ぎたあたりから、各校の選手がスパートをかけ始めた。
しかし、ゴール直前の交差点に差し掛かったところで、事件は起こった。
なんと寺田は、直進すべきところを右折してしまった。すぐ前の中継車が右折したため、それについて行ってしまったのである。結果、順位も11位に後退した。
後日談で「あの時は、もう真面目に終わったと思いましたよ」と振り返った寺田だったが、ここからゴールへ向かってテラダッシュとも呼ばれる猛スパートを見せる。すると、10位の城西大学の選手が疲れていたこともあって、見事シード圏内の10位に滑り込むことに成功。ゴールした寺田は思わずこう呟いた。
「あぶねー!」
ちなみに今回最下位だった日本大学の10区を走ったのは、苗字が同じ寺田裕成選手である。
月刊陸上競技1月号増刊箱根駅伝公式ガイドブック2011(陸上競技社 講談社)のプロフィールによると、
趣味は「音楽鑑賞と早寝早起き」(余談だが、山の神こと東洋大学の柏原竜二は「ゲーム、マンガ、アニメ」と明記している)、夢は箱根駅伝で走ることと書く選手も多い中、「長生き」とかなり現実的。
その一方、選手としてのアピールポイントは「ラストのスピード」、今大会への抱負「シード権獲得」とあり、
これらを本番で見事成し遂げた事を大いに評価したい。まさに有言実行に相応しい快挙だろう。
波乱に満ちた初出場の箱根を終え、普段の生活に戻った彼を待ち受けていたのは、街行く人からの「危なかったねえ。」「次もがんばんなさいよ」との暖かい声援だった。
なお、寺田がコースを間違えた交差点(Googleマップ)は、ネット上で寺田交差点と呼ばれるようになり、この一件も寺田交差点事件と呼ばれるようになる。
この事件は箱根駅伝伝説のひとつとして語り継がれることとなり、2018年より発行されている『あまりに細かすぎる箱根駅伝ガイド!』(EKIDEN News 監修)では「コースを間違う選手を二度と出してはならない」との名目からコースマップに寺田交差点がしっかりと掲載されている。
そして2012年、彼が箱根に戻ってきた。なんと「5区」に自ら立候補したのだ。
「根性だけはあります」と、彼は各チームが「打倒柏原」で燃える箱根の上りをまたあの顔で走ってくれた。
結果は区間5位と山登り初挑戦にして大健闘、4人抜きでチームも往路9位と、今後にも十分期待できる選手と言える。
しかし放送でカメラに映るたびに「昨年コースを間違えた寺田選手」とアナウンサーに言われてしまううえ、
前田監督による「彼は実はものすごく口数も少なく、例えれば武士のようです。それも古武士。」などという
実にナイスな評価までアナウンサーに読まれてしまう。
さらに画面に映ると同時に2ちゃんねるの実況板では、スレが異常加速。
「寺田、遭難するなよ!」「寺田、前みないと危ないぞ!」と応援メッセージが連発され、ゴール直前の国道1号からの右折地点直前では、
「寺田、ちゃんと曲がれよ!」「寺田まっすぐ行って山の神超えろ。」など、愛のあふれる寺田コールが3スレほど続いた。
日テレの情報番組「スッキリ!!」に電話出演した寺田は、沿道のファンに「コース間違えるなよ」と言われたらしい。
もう許してやれよ。
翌日の復路の結果、チームは総合10位に滑り込み二年連続でシード権を獲得した。
一番の立役者はやはり彼だった(区間5位はチームで最も上位)。
ちなみに昨年寺田に煮え湯を飲まされた城西大学は総合6位でめでたくシード権を獲得した。
3年生になった2013年、彼が登場したのはなんと「2区」。言うまでもなく各チームともエース級のランナーを擁するごぼう抜き連発区間である。
彼は2012年に行われた各記録会で優秀な成績を残し続け、すでに名実ともに國學院のエースとなっていたのだ。
(ハーフ1時間02分47秒とか結構ハイレベル)
しかし襷を受けた段階でチームは18位。もはや恒例となった「道間違えるなよ~」の声援を受けながら襷を受けた彼の力走むなしく、18位を維持することが精一杯であった。(区間順位15位)
ただし、そこは「何かが起こる男」寺田。
戸塚中継所手前で、前を走る中央大学の新庄選手が突然のスローダウン。(低体温症と脱水症状と言われる)
中継所直前でその中央大学を抜き17位で襷を繋いだ。
箱根駅伝では毎年見られる非情なシーンだが、寺田が新庄選手を抜く際に彼に「何か」言葉をかけていたことを知る者は少ない…。
なお國學院大學はこの年シードを失い、中央大学および因縁浅からぬ(言い過ぎ)城西大学は5区で棄権。
日テレの中継の最後の最後で、「箱根駅伝をお送りしました。なお、(5区で棄権していた城西大に続き)中央大学もリタイヤとなったようです。」と放送事故レベルのアナウンスが行われたことは本項以外でも語られることだろう。
4年生になった2014年、昨年の順位からシード権を失っていたが、予選会ではチーム最高タイムの59:53(全選手中13位)を叩き出し、箱根駅伝本戦出場に大きく貢献した。
箱根では昨年に続き「2区」を担当。襷を受けたのもこれまた昨年に続き18位。エースひしめく「花の2区」において、23チーム中区間7位の好走を見せ、最終的には14位に順位を伸ばし襷をつなげた。
今年のタイム、1:10:28は昨年の自身の記録1:12:39を2分以上上回っており、いろんな意味でインパクトを残した初登場から常に成長し続けてきた男、寺田の有終の走りとなった。
寺田選手の今後の活躍にも期待したいところである。
大学を卒業した寺田はJR東日本に入社、社会人ランナーとして現役を続けることに。
JR東日本では入社当初から主力として社会人の駅伝に出場する。また、近年ではマラソン練習にも取り組むようになった。
2019年シーズン、寺田は福岡国際マラソンに出場、優勝争いには絡めなかったものの、5位集団から終盤に抜け出し、4位に肉薄する2時間10分55秒の5位でフィニッシュする。残り2.195kmのタイムは出場全選手中最速の6分44秒。テラダッシュの切れ味は健在である。
続いてニューイヤー駅伝2020にもJR東日本のアンカー(7区)で登場。区間順位こそ11位だったものの、ほぼ同時にスタートした下田裕太(GMOインターネットグループ)を最後に振り切り、チーム史上最高の4位入賞に貢献した。なお、中継を見ていた多くのネット民が「テラダッシュ再び」「今度はコースを間違えるなよ」などとツイッターに投稿していた模様。
2020年の福岡国際マラソンでは自己最高となる2時間8分3秒をマーク、3位入賞とともに一流ランナーの証とも言われるサブ10(2時間10分切り)を果たす。
2023年、2月に開催した大阪マラソンを最後に第一線から退くことを発表。その後、皇學館大学からのオファーを受け、7月1日付けで同校の駅伝競走部の監督に就任した。
一方の國學院大學は、箱根駅伝の予選落ちを経験しながらも着実に地力を付けていき、2019年の箱根駅伝では往路3位の大健闘、総合でも7位と寺田らが打ち立てた過去最高順位(10位)を更新した。
優勝候補の一角として名を挙げられるようになった2019年シーズン、國學院は出雲全日本大学選抜駅伝競走(出雲駅伝)で優勝を果たし、念願だった大学三大駅伝の初タイトルを手にした。
全日本大学駅伝では7位と不本意な成績となったが、往路優勝・総合3位を目標として掲げた2020年の箱根駅伝では、往路こそ目標に届かず2位だったものの(それでも往路の大会記録を更新している)、復路で粘りを見せて総合3位でフィニッシュした。
その復路(10区)のゴール前、國學院を含めた4チームが3位争いを繰り広げ、4位とはわずか3秒という僅差だった。あれ、似たような光景を以前に見たような・・・
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最終更新:2024/04/23(火) 16:00
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