「裏」の「逆」でないならば、それは対偶ではない。
「AならばBである」の対偶は、「BでないならAでない」である。重要なのは前者と後者が同値ということである。すなわち前者が真なら後者も真、前者が偽なら後者も偽である。
冒頭の例でいうと、「『裏』の『逆』でないならば、それは対偶ではない」と「対偶とは、『裏』の『逆』である」は同値である。
以上をまとめると、「A→Bがいえるならば、¬B→¬Aもいえる」ということになる。
この証明自体では二重否定・排中律・背理法をまったく使っていない。だから、直観主義論理であっても対偶はいえる(ただし、二重否定は削除できないため、¬¬AがAにはならない点には注意)。
「パンツじゃないから恥ずかしくないもん!」の対偶は「恥ずかしいからパンツだもん!」となる。
無論前者と後者は同値だが、真偽の証明は各人にゆだねることとする。あるいは前件否定の記事を参照のこと。
→ 命題 参照
「AならばBである」とき、BであるにはAであれば十分であるから、AはBであるための十分条件であるという。また、Aであれば必ずBであるということは、BでなければAではありえない。つまり、AであるためにはBであることが必要なので、BはAであるための必要条件であるという。
「AならばBである」かつ「BならばAである」とき、AはBの必要条件でもあり十分条件でもあることから、AはBの必要十分条件であるという。このときBもAの必要十分条件である。
この場合、AもBも表現は違えど、同じ状態を表現しているのであり、「AとBは同値である」ともいう。同値を英語でいうと、equivalenceであるが、equiの部分はequal(等しい)と、valの部分はvalue(値)と同じ語源である。この場合のvalue(値)というのは、単純な数値のことではなく「状態を評価(evaluate)した結果」のことを指していると思われる。
「AならばBである」の裏は「AでないならばBでない」である。「AならばBである」の逆は「BならばAである」である。
ここで注意しなければならないのは、「AならばBである」が真であっても、「裏」や「逆」は「必ずしも」真ではないということである。「AならばB」のときに、逆が真であるかどうかは、AでなくてもBの場合があるかどうかにかかっている。
この点に関する誤りは「=」の記事が詳しい→ 「=」
「裏」や「逆」とは真偽が一致しなくても、「裏」の「逆」である対偶とは真偽が一致する。ちなみに、「裏」と「逆」は対偶の関係にあるため真偽が一致する。
掲示板
34 ななしのよっしん
2021/09/13(月) 07:11:28 ID: /uEoCJyCTx
実はフェルマーの最終定理の証明の一部に使用されていたりする
フェルマーの最終定理が成り立たない→谷山=志村予想が成り立たない
ことが証明できたので、その対偶たる
谷山=志村予想が成り立つ→フェルマーの最終定理が成り立つ
が示せた。後年谷山=志村予想が成り立つことを示せたので…
35 ななしのよっしん
2023/10/02(月) 23:54:22 ID: DA1q0Rf4id
人がなんか言ってるといつもその対偶は何かと考えてしまう
36 ななしのよっしん
2025/04/02(水) 03:10:56 ID: d6ZLqretBi
>>27
「パンツじゃない」の中に、パンツすら穿いてないとか、ズボンやスカートは穿いてるけど上半身裸とか、そういうのも入ってるんですけど大丈夫そ?
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最終更新:2025/04/18(金) 06:00
最終更新:2025/04/18(金) 06:00
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