小山朝政(1155? or 1158?~1238)とは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した武将である。
小山氏は秀郷流藤原氏の嫡流を称し(ほんとは太田氏ってのがいてだな…)、同じく秀郷流の藤姓足利氏と下野の両虎と並び称された一族である。小山朝政は小山政光の嫡男として生まれ、1180年に父不在の中、養母・寒河尼とともに源頼朝の招きに応じた。
1183年に頼朝の叔父の志田義広が反乱を起こした際には野木宮の戦いでこれを破り、常陸へも進出していった。さらに同年源義仲追討軍である源範頼軍に加わり、そのまま平家との戦いにも突入していく。奥州合戦でも源頼朝の軍勢として藤原泰衝軍を蹴散らし、下野御家人の筆頭として幕府内の地位を固めた。そして頼朝上洛の際に右衛門尉に任官する。
1199年には下野国権大介のみならず播磨の守護も手に入れ、所領は御家人の中でも最上位にあった。宇都宮頼綱の謀反疑惑が発覚した際には、自身も疑われる立場にありながらこれを説得したという。承久の乱のころには宿老として鎌倉にとどまり、1226年ごろ出家してそのまま亡くなった。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/23(火) 15:00
最終更新:2024/04/23(火) 15:00
スマホで作られた新規記事
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。