小林一三 単語

32件

コバヤシイチゾウ

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

小林一三(1873年1月3日-1957年1月25日)とは、日本の実業政治家である。号は逸翁(いつおう)。阪急阪神グループ現在阪急阪神東宝グループ)の創始者で、阪急電鉄宝塚歌劇団東宝阪急百貨店を創設した。

ひ孫松岡修造が、現孫(修造)にタカラジェンヌの稀惺かずとがいる。

概要

山梨県出身。現在慶応義塾大学卒業後、1892年に三井銀行入行。

1907年阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道専務事実上の社長)に就任(社長に就任するのは1927年

当時は沿線にほとんど人が住んでおらず、「ミミズ電車」と揶揄され採算性に疑問のも多かったが、そのことを逆手に取り、月賦で一般のサラリーマンが買える額の新住宅街開発し、終点宝塚には宝塚温泉(後の宝塚ファミリーランド現在は閉園)や宝塚歌劇団と言った娯楽施設を、始点梅田駅には世界初のターミナルデパートである阪急百貨店を開店するなど需要の開拓に勤め、日本独自の私鉄ビジネスモデルを作り上げた。

このビジネスモデルは多くの私鉄のみならず、国鉄ら民営化したJR小林の作り上げたビジネスモデル真似することとなった。

1957年に84歳でする。

小林一三と文化

小林は経営面だけではなく文化面でも大きな功績を残した。

美術人としても有名で、一点一点自らので確かめたというコレクションは5500点をえ、中には重要文化財も多数存在する。そのコレクション後にオープンした逸翁美術館として一般に広く開されている。

また、慶義塾在学時代には郷土の山梨日日新聞新聞紙面での小説の連載を持っており、宝塚歌劇の脚本を担当するなど、作家としての一面も持っていた他、宝塚歌劇団の他に阪急ブレーブスも創設し、「死後もタカラヅカとブレーブスだけは売るな」という遺言があったが、ドラ息子ブレーブス)とドラ宝塚)と揶揄されるようになり、小林の三男・三の入婿により、1988年についにブレーブスは売却の憂きにあった。

関連動画

小林一三に関するニコニコ動画動画紹介してください。

関連項目

この記事を編集する

掲示板

掲示板に書き込みがありません。

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/19(金) 00:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/19(金) 00:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP