小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう、1942年1月8日 - )とは、日本の政治家である。日本国 第87・88・89代内閣総理大臣。
神奈川県横須賀市出身。
中曽根康弘首相以来、辞任せずに任期を全うすることができた唯一の自由民主党総裁であり、福田赳夫以来、はじめて旧田中派・旧経世会の支持を得ずに首相に就任した最初の自由民主党総裁でもある。
大和田秀樹による日本の漫画『ムダヅモ無き改革』の主人公・小泉ジュンイチローは、この男がモデルと思われる。アニメ版では、森川智之が小泉ジュンイチローの吹き替えを担当している。
長男は俳優の小泉孝太郎。次男は自由民主党所属の衆議院議員・小泉進次郎である。
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その首相人生の大半は道路公団と郵政三事業の民営化と、それらを通した経世会の打倒に費やされた。
しかし、彼の首相期間内に、北朝鮮への拉致被害者が一部返還されたことは忘れてはならない名誉である。
また、彼が経済財政担当大臣・金融担当大臣に任じた竹中平蔵によって、金融機関の不良債権処理が断行され、バブル崩壊以来続いていた金融不安が払拭されたことは、小泉政権の大いなる功績として評価されるべきであろう。この金融不安の後退は、中国をはじめとする途上国の経済成長とも相俟って、「いざなぎ越え」と呼ばれる戦後最長の好況期をもたらした。
小泉の「感動した!」や「人生いろいろ発言」「自民党をぶっ壊す」など、「ワンフレーズポリティクス」といわれるものの大半はマスメディアによる切り貼りが原因とされる。なお、首相官邸での一日二回の「ぶら下がり取材」を導入したのは彼である。
ニコニコ動画には無いが、国会の議事録で「人生いろいろ」発言を探すと、その発言をした直後に岡田克也民主党代表(当時)が突如質疑を打ち切っていたりと、非常に面白い。このように、彼はメディアには登場しないエピソード数多く持っている。
なお、小泉は中曽根と同様に「私の評価は30年後くらいに歴史が評価を下す」と言っているので、善悪の評価は控えなければなるまい。実際、小泉を改革者として高く評価する声も存在するのであるが、その一方で、彼の構造改革が所得格差の拡大を招いたとの批判も、少なからず存在する。
(ただし、所得格差の拡大と小泉構造改革の因果関係の有無については、経済学者の間では現在でも論争が続いている。池田信夫氏をはじめとして、所得格差の拡大の原因は高齢化と経済のグローバル化であって、小泉構造改革のせいではないと主張する識者も少数ではなく、また、それを裏付ける統計も多く存在している。)
・・・上記のような事情であるから、あくまで、ここには賛成論と反対論を平等に書くべきであろう。氏への評価は2035年頃までお待ちいただきたい。
「小泉純一郎」で検索すると、数は少ないものの、演説系の真面目な動画から「ムダヅモ~」に代表されるネタ動画まで幅広いジャンルの動画がヒットする。
演説系では小泉罵倒レスが多く、ネタ動画のクオリティは高い。 執拗に批判コメントを繰り返す人も居る。小泉の行ったことは賛否両論なのである。
必殺技は国士無双(ライジング・サン)、轟盲牌など(byムダヅモ無き改革)
2008年9月25日に政界引退を表明した。後継として、次男の小泉進次郎が2009年の衆院選で神奈川11区から立候補し、当選した。(⇒当該項目へ)
日本人が小泉純一郎を思い浮かべた際、まず浮かんでくる言葉が「郵政民営化」であろう。
郵政民営化は、その名の通り「郵政」を「民営化」することである。
郵政、いわゆる郵便局には日本全国から集められた貯金や保険が350兆円あり、これを市場に流すことで資金の流れを活性化させる、 国は郵便局の運営費を無くすことができる、というのが小泉の主張であった。
2005年の解散総選挙はこれを選挙の争点とし、結果圧勝。
ちなみにこの解散の名前は、小泉が、自ら郵政解散と名付けた。通常はマスコミやジャーナリストがあれこれ言って通称が決まるものだが、首相自らが解散後の記者会見で名前を発表した。
この、郵政民営化は今でも賛否両論で、いろいろ複雑な事情が絡んでややこしくなっている。
郵政解散から5年以上が経過した今、この問題について国民が、もう一度、しっかり、考える必要があると思われる。
純一郎の母方の祖父、小泉又次郎氏は現在の横浜市金沢区で「とび職」(大工の一種)を営む至って庶民の家庭に生まれた。後に横須賀に転居。又次郎氏は毎日新聞の記者となり、後に立憲改進党に入党。最終的には逓信省(日本郵政の前身)大臣にまで上り詰めた。小泉又次郎氏は、背中に刺青をしていたので、「刺青の又さん」「刺青大臣」のあだ名で呼ばれていた。これは荒っぽいとび職人たちの親方として入れる必要があったとも、なりたかった軍人になるのをきっぱりと諦めるため(日本軍では刺青を入れたものは軍人になれなかった)、父親に誓いの証として彫ったとも言われている。いずれの説が真実かはよくわかってないが、いずれにせよ、義侠心あふれる親分肌の人物だったらしい。
小泉純一郎の父親にあたる、鮫島純也氏は、鹿児島県東加世田郡(加世田市)の貧しい漁師の家に生まれた。父親を11歳、母親を16歳のときに亡くした。孤児となった純也氏は、生活を営むために昼間は「山形屋(百貨店)」で働き、夜間は鹿児島実業高校に通い、苦労を重ねた。
高校卒業後、朝鮮銀行に就職。やがて又次郎氏の娘と結婚し、「小泉純也」と苗字を変える。その二人の間に生まれたのが純一郎である。
純也氏は結婚後、国会議員となった。戦後は防衛庁長官(現・防衛大臣)として「在日朝鮮人の帰還事業」を推進。自民党議員としては珍しく、北朝鮮、韓国の首脳とも積極的に会談した。殆どの朝鮮人は提案を快く応じたが、一部では日本に留まる輩もいた。彼らの子孫が、現在「在日朝鮮人」と呼ばれる人々である。純也氏は、冷戦下の緊張状態において「朝鮮半島と日本の関係を改善」しようと捨て身で尽力した。「北朝鮮との国交回復」も目指したが、あと一歩の所で無念の死を遂げた。
2009年12月12日、ウルトラマンキングとしてウルトラの星へ行った。
というのは冗談で、同日公開の映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』にウルトラマンキングの声優として出演した。もちろん、総理大臣経験者の声優出演は史上初。
小泉はよりにもよって自民党総裁選告示前日、収録に参加していた。
「子供と一緒に見ていた。親子三代でファンだ」と語っており、快く出演を引き受けたという。
もともと演説が非常に巧いため、その演技と迫力に期待する声も大きい。
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最終更新:2025/03/28(金) 07:00
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