小笠原弥八郎とは幕末の幕臣である。
慶応3年(1867年)6月頃、蒔田広孝の後任として京都見廻役に就任。12月に病気を理由に退役。
明治3年(1870年)4月、元京都見廻組肝煎・今井信郎による坂本龍馬暗殺事件の自供にもとづき確認を求められており、小笠原は静岡藩を通して以下のように回答し関与を否定した。
坂本龍馬召し捕りの儀に限らず、京都見廻組勤め向きの義は、佐々木唯三郎全権にて百事委任取り扱い候儀ゆえ、御尋ねの次第更に心付け申さず候旨申し立て・・・
回答と共に提出した本人の書状でも
と書いており、これが認められその後の追求は特に無かったものと思われる。以後の経歴は不明。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/26(金) 00:00
最終更新:2024/04/26(金) 00:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。