少しのことにも、先達はあらまほしきことなり 単語

スコシノコトニモセンダツハアラマホシキコトナリ

1.6千文字の記事

少しのことにも、先達はあらまほしきことなりとは、『徒然草 (吉田兼好, 1349)』第52段『仁和寺にある法師』の末文である。

ちょっとしたことにも、そのことに関する先導者はあってほしいものだなあ、という意味合いである。

概要

仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり徒歩( かち ) より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて、「( としごろ ) 思ひつること、果し( はんべ ) りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。


先達(せんだつ)はあらまほしきことなり 平成 24 年 2 月 1 日「陸災防通信(第 1 号)安全衛生の豆知識」よりexit, 2024/04/26閲覧

徒然草』第52段は、仁和寺 (京都市右京区に現存する真言宗御室寺院) の僧が、石清水八幡宮 (京都府八幡神社) に行ったことがなく心残りであったため、1人で行ってみたという話である。
かしこの僧は石清水八幡宮が山の上にあることを知らず、麓にある極楽寺と高良神社だけ拝んで帰ってきてしまった。しい人に、「なんでお参りする人々は皆山に登るのかわからなかったが、神様にお参りするのが的だからと山までは登らなかった」と言っていた、というものである。

極楽寺は大きな伽のあった寺であったと言われており、また当時は神仏習合もあって、麓の寺と神社とを見て的の神社と勘違いしてしまうのも当然といえば当然であったのかもしれない (そもそも僧が神社行ってみたいと思うこと自体神仏習合が当時当たり前であったことを示す) 。
しかし本当の的だった石清水八幡宮は山の上にあったのである。僧が1人ではなく、その導者がいればこんなことにはならなかった、と吉田兼好はっているのである。

現代人にも似たようなことは言える。そのの専門と、そうでない者では見えているものが違うことはよくあり、また経験がない分準備や学習が疎かになってしまうこともある。
会社の経営方針や国家運営といったスケールでかい話から、ゲーム攻略法や初めて行くイベントに持って行くものの準備、役所への届出に至るまで、専門や経験者の話にを傾けることは必要ではないだろうか。
また、先達の話を聞いていれば、自分がやらかしそうになった間違いを既に経験している者もいるかもしれない。どうすればそのようなミスが起きるのかを知れば、自分は回避できるかもしれない。なんであれ下調べは非常に大事ということである。

余談

極楽寺はその後の鎌倉時代に戦火で寺となってしまっている。

高良神社戊辰戦争発端の鳥羽伏見の戦いで焼失したが、1882年に再建された。もともと石清水八幡宮は国家皇室・武の守護神を神社であるため、地域の人々にとってはむしろ高良神社のほうを氏神として拠り所にしていたとも。

なお現代では観光案内所も現地にあるほか、スマートフォン地図アプリを開くこともできるので、仁和寺の僧も時代が違えば先達なしで石清水八幡宮に行けたのかもしれない。もその観光案内所や地図アプリこそが先達によって作り上げられたものなのだが……。

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