少弐氏 単語


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少弐氏(しょうにし)とは、北部九州を領していた大名家である。通字は「資」「頼」である。

概要

少弐氏は藤原秀郷の末裔を称する家柄である。源平合戦では平氏方についたが、平氏滅亡後に御家人となり、鎮西奉行に抜擢されたのを期に肥前・筑前などを領した。ちなみに、2代・少弐資能の時に官職である『大宰少弐』からとって苗字を少弐と称した。

また資能と3代・少弐経資の時期に元寇が襲来し、資能と経資の長男・少弐資時が戦死した。また経資は弟・少弐景資と内乱を起こし、景資を討つと勢力を拡大させていった。鎌倉幕府が滅亡して南北朝に突入すると、少弐氏は北朝方として活動するが、5代・少弐貞経が南朝方の菊池氏や阿蘇氏などに攻め込まれ戦死してしまう。貞経の子である6代・少弐頼尚が父の仇を討つも菊池氏とはそれ以降も何十年も戦った。

14世紀後半になると大内氏の力が九州に大きく影響し、大友氏と組まれたことにより少弐氏は押されだすようになる。応永の乱で大内義弘が死亡し、一時勢力を盛り返すも、ここから滅亡するまでおよそ150年間大内氏から攻撃を断続的に受け続けることとなった。

16代・少弐資元の時に家臣の龍造寺家兼に裏切られて最終的に自害に追い込まれると、17代・少弐冬尚は家臣・馬場頼周の意向を受けて龍造寺氏をほぼ抹殺しかけるも肝心の家兼たちを逃してしまう。結局家兼の曾孫・龍造寺隆信によって滅亡に追い込まれてしまった。大内氏が滅亡した2年後のことであった。なお、冬尚の自害の後、10数年は冬尚の弟・少弐政興がお家再興を目指して大友氏らの援助を受けながら奮闘した。

=少弐氏略系図=

  • ‖:養子 / 下線付き:養子に行った人物
  • 赤字太字は歴代当主。
武藤頼平
<少弐氏> <大宝寺氏>
武藤資頼 武藤頼高 武藤氏平 武藤宗平
少弐資能 武藤頼茂 武藤為頼 武藤頼基
少弐経資 少弐資俊 少弐景資 少弐盛資 少弐宗資
少弐資時 少弐盛経 少弐時経 少弐盛氏 少弐貞資
+
少弐貞経 少弐貞信 少弐経清 朝日資法 少弐資基
少弐頼尚 馬場経員
少弐直資 少弐冬資 少弐頼澄 少弐頼光 馬場頼興
少弐頼国 少弐頼興 少弐貞頼 少弐頼資 馬場頼継
少弐満貞 横岳頼房 馬場資幸
+
<筑紫氏>
少弐資嗣 少弐嘉頼 少弐教頼 馬場頼経 筑紫頼門 横岳資貞 馬場頼経
<鍋島氏>
少弐政資 千葉胤資 鍋島経房 横岳資誠 馬場頼員
少弐頼隆 少弐高経 少弐資元 江上資種 馬場頼周
+
少弐冬尚 千葉胤頼 少弐政興 少弐元盛 松浦鎮 馬場政員
少弐冬敬 少弐資宗 馬場鑑周 馬場鎮周

関連動画

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関連項目

  • 藤原秀郷
  • 源頼朝
  • 北条時宗
  • 大内義隆
  • 大友宗麟
  • 龍造寺隆信
  • 元寇
  • 戦国大名
  • 戦国時代
  • 南北朝時代
  • 鎮西奉行
  • 宗氏
  • 龍造寺氏
  • 渋川氏
  • 福岡県
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  • 佐賀県
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