屋宜照悟(やぎ しょうご、1989年3月29日-)とは、沖縄県出身の元プロ野球選手(投手)である。
OB | |
---|---|
屋宜照悟 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 沖縄県うるま市 |
生年月日 | 1989年3月29日 |
身長 体重 |
178cm 84kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2012年ドラフト6位 |
引退 | 2019年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
中部商に進学後は投手として起用され、2年秋に県大会決勝に先発し完投勝利。県大会優勝に貢献し、九州大会ベスト8まで進出。続く3年春も県大会優勝に貢献する。しかし3年夏には大嶺祐太を擁する八重山商工に県大会決勝で敗北。甲子園出場は成らなかった。
国士舘進学後は1年春から出場。主に中継ぎとしての登板・活躍を見せていたが、3年秋の国士舘二部リーグ優勝に貢献。入れ替え戦でも救援登板しチームは勝利、国士舘は30季ぶりの一部リーグ復帰を果たす。しかし一部昇格後は自身の不調などもあり、4年春・秋共に結果が伴わず、国士舘はわずか1年で二部へ降格となってしまった。
社会人時代は1年目春から公式戦には出場するも結果は中々伴わず、2年目に都市対抗野球大会でチームは優勝するものの登板はなかった。ドラフト指名後の秋に、日本選手権大会で全国大会の初登板となり、ここで6回2失点7奪三振で初勝利、中二日で決勝に先発し6回2/3を1失点に抑え優勝に貢献した。
2012年度新人選手選択会議にて、北海道日本ハムファイターズから6位指名を受け入団。背番号は57。
2013年7月15日に一軍昇格、9回にプロ入り初登板。1失点するも2つ奪三振を取るデビューを果たす。その後抹消されるも8月1日に再昇格。2番手登板でプロ入り初勝利を挙げる。
2014年は一軍登板なし。2015年には初ホールドも記録するなど中継ぎとして計18試合に登板。
2016年は再び一軍登板なし。2017年に杉浦稔大とトレードで東京ヤクルトスワローズ入り。
2017年8月1日にトレード後初登板をするも3失点、翌日も登板するも再び3失点で2軍降格となる。
2019年は1試合の登板に留まる。二軍では41試合に登板し、ブルペン陣を支えた。オフには戦力外通告を受け、引退。
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013年 | 日本ハム | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 4.2 | 4 | 3 | 6 | 6 | 11.57 |
2015年 | 18 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 25.0 | 6 | 11 | 15 | 11 | 3.96 | |
2017年 | ヤクルト | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 1.0 | 0 | 0 | 6 | 6 | 54.00 |
2019年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 1.0 | 0 | 1 | 2 | 2 | 18.00 | |
NPB:4年 | 24 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 31.2 | 10 | 15 | 29 | 25 | 7.11 |
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最終更新:2025/04/13(日) 20:00
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