属州(プロウィンキア)とは、古代ローマの海外領土における行政区分である。
イタリアの都市の支配から始まった国家ローマは、共和政ローマ、帝政ローマの両時代において
本国であるイタリア半島以外の自国の領土(外地)を複数の行政区分に分けて、「プロウィンキア(Provincia)」と称した。
この「プロウィンキア」は現代日本語では主に「属州」などと訳される。
最終的にローマの領土の拡大と、属州の分離・統合などにより、
本記事が基準とするトラヤヌス帝統治時代において、イタリア本土、皇帝領エジプト以外は40個近い属州ができた。
その領域は西欧、中欧、北アフリカ、アナトリア半島、中東に至るまで広域である。
共和政期においては種類なかったが、帝政期においては皇帝属州と元老院属州に分けられる。
皇帝属州はローマと他国・多民族とのいわゆる国境地帯を持つ要地である属州が多い。この属州の総督を任ずる権利を皇帝が有していたことから、皇帝属州と呼ばれる。
元老院属州は上記以外のいわゆる国境地帯を持たず、また経済的にも安定的な属州である。この属州の総督を任ずる権利を元老院が持っていたことから、元老院属州と呼ばれる。
ローマ領有以前から住んでいた、いわゆる原住民の子孫にあたる「属州民」には本国の平民階級以上が持つ、民会(平民以上のローマ市民全員による集会)の投票などの義務・権利のあるローマ市民権を有しない。
そのかわりに執政官ガイウス・マリウスが廃止するまでローマ市民の義務であった兵役の義務などもない。兵役廃止後もローマ市民の権利であった、正規軍団の志願兵になる権利も存在せず、代わりに属州民の志願兵は補助兵と呼ばれる。
なお、属州に住んでいる者であっても、本土イタリアからの移民や補助軍団を数十年勤めてローマ正規兵についた者、あるいは退役した者とその子孫などは、ローマ市民権を有していた。
属州および皇帝私領アエギプトゥスを統治する官職、いわゆる属州総督には、元執政官(プロコンスル。国家ローマの事実上の国家元首である一年制の執政官の役職の経験した者。なお帝政においては、皇帝も執政官の官職に就くか、もしくは執政官と同等の権限を有していた。)か、元法務官(プロプラエトル。司法と軍事を担当する一年制の役職の経験者)が、元老院もしくは皇帝からの要請で任地に就く。任期は不定期だが、大体は長くても3年ぐらいである。
この属州総督の下には、中央(ローマ市)から派遣されたさまざまな官僚がついていた。
ローマ市民権を持たない属州民は土地、物品の売買、収穫物などに税が課され、それをローマ本国(属州総督)に対して納税する義務を持つ。属州においては、現在における税務署・徴税担当者のようなものが存在せず、納税は徴税請負人(プブリカニ)という民間人が、属州機関の許可を得て行っている。つまり、この徴税請負人を通し属州民は納税する仕組みである。
なおこの徴税請負人であるが、中には己の私腹を凝らすために不正を行う者なども存在した。
徴税請負人の不正の例を述べたい。たとえば、とある属州民の農民が小麦農園を営んでいた。そして収穫の時期になり、収穫を行った。そこに徴税請負人が現れ、属州民の収穫によって要求した物量が40%であった。何も知らない農民はこれをそのまま受け入れ、収穫物の40%を渡した。だが、実際には属州に定められた収穫の納税は、三分の一税によって定められるとおり30%程度であった。徴税請負人はまず属州に対してこの農民の納めた小麦を属州総督に納め、その差額である5%を自分の財産にした。こういう例もあったそうだ。
また属州総督自身が徴税請負人と結託して、圧政を行うようなことも一部あった。たとえばシキリア属州の属州総督であったガイウス・ルキリウス・ウェレスと言う人物は、凄まじい重税と圧政を課した。これにより属州民から反乱を起こされた。
属州民は元老院に対して、属州総督の圧政を訴える権利があった。しかし、これも総督の任期終了後に限り可能な権利である。すなわち数年間にわたっては圧政が続いていった。
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