(りちゅうてんのう 336年?~405年4月29日)とは、第17代天皇である。
仁徳天皇の第一皇子として生まれる。
聖帝仁徳天皇がお隠れになられると、実弟の住吉仲皇子(すみのえなかのおうじ)が履中天皇の婚約者の黒媛(くろひめ)を犯し、事が露見することを恐れて皇居を包囲し履中天皇を焼き殺そうとしたが、履中天皇の命をうけた実弟の多遅比瑞歯別尊(たじひのみずはわけのみこと)によって殺されるという事件が発生した。
即位4年目の403年に、国史(ふみひと)と呼ばれる書記官を各国に配置して、各地の情勢を中央に知らせる体制をつくりあげたが、この頃には有力豪族であった蘇我氏や物部氏が国政に参加するようにもなった。
405年に70歳でお隠れになられた(古事記では64歳)。実弟を殺してまで得た天皇の座ではあったが在位6年の短さだった。
後継は、実子で仁賢天皇・顕宗天皇の父となる磐坂市辺押磐皇子(いわさかのいちのへのおしはのみこ)ではなく、住吉仲皇子を殺させた多遅比瑞歯別尊が即位した。後の反正天皇である。
履中天皇と言う諡号は、漢風諡号を持たない神武天皇から元正天皇までの44代(弘文天皇と文武天皇を除く)に対して、奈良時代の文人「淡海三船」が漢風諡号を一括撰進して以降呼ばれるようになったもので、古事記では大江之伊邪本和気命(おおえのいざほわけのみこと)、日本書紀では大兄去来穂別尊(おおえのいざほわけのみこと)と呼ばれている。
16代 | 17代 | 18代 |
仁徳天皇(にんとくてんのう) 313~399 |
履中天皇(りちゅうてんのう) 400~405 |
反正天皇(はんぜいてんのう) 406~410 |
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最終更新:2024/04/18(木) 11:00
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