山下虎雄 単語

ヤマシタトラオ

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山下虎雄(やました・とらお;偽名)とは、沖縄戦の際に波照間民をマラリアと飢餓の地獄に陥れた陸軍軍曹である。

概要

1945年、波照間青年学校導員山下虎雄を名乗る若い代用教員が現れた。

山下氏は来当初は好人物を装い民を油断させたが、軍人として本性を現すようになると民に軍を振り回すなどして脅迫し軍命として西表南風見田への疎開を強制して畜等食糧を略奪した。

当時の西表マラリア感染の危険が高く、実際に民はマラリアに感染し次々倒れていった。山下軍曹沖縄戦終了を密かに知った後も八重山守備軍の帰許可に反してまで波照間帰を許さず、全員の支持を得た識名信学校校長らが帰を強行するまで波照間民は西表に留められた。西表・波照間間は2艘の小舟しか輸送手段がなく帰は難航した。波照間畜は疎開前に処分され農地も放置されたため、民は帰後もマラリアと飢餓に苦しむことになった。

山下軍曹10月頃になって密かに沖縄から逃亡。

民約1500人のうち90%以上がマラリア患、死亡者は477~522人にのぼった(帰後含む)。この被害は割合としては八重山の他べて突出して高い。

山下軍曹の正体は日本軍スパイ養成機関である陸軍中野学校出身の離残置工作員と言われ、八重山守備隊が出した帰許可無視できたのもこのためと思われる。

山下軍曹戦犯となることも民へ謝罪することもなく本土で生き延びた。1981年に波照間を再び訪れたものの、民達から脅しめいた抗議書を突きつけられ追い返されたことがある。滋賀県守山に住み[1]電機メーカー会長などを務めて1997年死去。

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関連項目

脚注

  1. *平成 1年(1989年) 第 7回 沖縄県議会議事録より https://www2.pref.okinawa.jp/oki/Gikairep1.nsf/481e05e7edaca1db49256f540004c033/6de6a9cf55a8566f492570b50027fc8d?OpenDocument&Click=
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