山内泰幸(やまうち やすゆき)とは、 広島県東広島市出身の元プロ野球選手である。
OB | |
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山内泰幸 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県東広島市 |
生年月日 | 1973年3月16日 |
身長 体重 |
179cm 79kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1994年ドラフト1位 |
引退 | 2002年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
高校時代は尾道商業高等学校に進学。入学してからしばらくは内野手としてプレーしていたが、打撃投手を務めたことをきっかけに投手に転向。甲子園大会出場は叶わなかったが、3年春の中国大会優勝など地方大会では実績を残している。
大学は日本体育大学に進学。首都大学野球リーグで活躍し、4年間で通算31勝を挙げ、MVP2回、最優秀投手4回、ベストナイン2回受賞と輝かしい成績を残し、日米大学野球選手権大会でもMVPを受賞、河原純一らとともにドラフト会議の目玉選手として注目を集めていた。
1994年ドラフト会議にて広島東洋カープを逆指名し1位で入団。
1995年、4月11日の阪神タイガース戦で先発投手としてプロ入り初登板し初勝利挙げる。その後中継ぎにまわり4勝した後先発に戻り、セ・リーグ最速で10勝に到達、オールスターゲームにも選出された。オールスター以降もローテーションの一角として登板を重ね、この年は14勝10敗、防御率3.03の成績を残し新人王に選出された。
1996年、先発だけでなくリリーフとしても重宝され、46試合に登板、11勝8敗、防御率3.90の成績を残し投手陣を支えた。
1997年、開幕投手を任され、投手陣の柱としての活躍を期待されたものの7勝11敗、防御率5.11と不安定な投球が続いた。この頃から肘の痛みに苦しむようになっていく。
1998年、1999年と2年連続で4勝に終わり、1999年オフに手術を決行。
手術明けの2000年は2勝、2001年は20試合に登板し3勝を挙げたが、2002年は3試合の登板にとどまり、この年限りで現役を引退。
ピンクレディーの楽曲『UFO』の振り付けのように、右肘を高く上げる独特な投法から「UFO投法」と呼ばれた右腕。高校時代のフォームはトルネード投法であり、独特な投球フォームは大学時代に身につけたものである。
巨人戦対10連勝を記録するなど、巨人キラーとしても知られていた。
通算:8年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 184 | 92 | 14 | 4 | 45 | 44 | 1 | 0 | .506 | 667.0 | 255 | 508 | 356 | 331 | 4.40 |
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最終更新:2024/03/29(金) 14:00
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