岩松尚純(いわまつ・ひさずみ 1461~1511)とは、上野国の戦国武将である。
新田岩松家11代当主。岩松明純の子。金山城主。子に岩松昌純がいる。
父・明純が祖父・岩松家純と古河公方への対応を巡って対立し廃嫡にされる。
のちに家老・横瀬国繁・横瀬成繁の説得で祖父と和解し後継者に指名された。
しかし、1494年に祖父が亡くなると成繁が家中を掌握し始める。
1495年、父と共に謀り成繁を攻め、山内上杉家臣・長尾房清・長尾景長の援軍を得たが敗北した。
その後古河公方・足利成氏の仲介により無理やり隠居に追い込まれこれ以降家老の横瀬氏が完全に家中を掌握した。
文芸の道に傾倒したためだという。
隠居してからは和歌に力を入れ、1509年に新田荘に滞在した宗長と連歌を催した。
ちなみに群馬県太田市の青蓮寺に、文亀元年(1501年)年記をもち、連歌の発句3句を書き付けた自画像が残っている。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/25(木) 13:00
最終更新:2024/04/25(木) 13:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。