岩瀬仁紀 単語

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岩瀬仁紀(いわせ ひとき、1974年11月10日-)とは、愛知県出身の死神岩、地面タイプポケモンプロ野球選手投手)である。現役時代は中日ドラゴンズに所属した。

概要

抜群の制球と驚異的な切れ味のスライダーを駆使し、9回を淡々と3人で終わらせていく様は「ジェノサイド」と言われ、背番号13とかけて死神DEATH13)と呼ばれる、球史に残る抑え投手

類い希な頑丈さを持ち、ルーキーイヤーの1999年から15年以上第一線のリリーフとして投げ続けながら、2014年に離脱するまで長期に渡って故障で戦線離脱したことは一度もなかった。

通算セーブ数歴代1位407セーブ2018年終了時点)、通算登板数歴代1位1002試合。2018年終了時点)、プロ入り以来15年連続50試合以上登板プロ野球記録)、3年連続40セーブ(史上初)、9年連続30セーブプロ野球記録)など、リリーフ投手としてのプロ野球記録を多数持つ、文字通りのレジェンドタイトル最優秀中継ぎ投手3回、最多セーブ5回(最多記録タイ)。2010年には通算250セーブを達成して名球会入りを果たした。

プロ入り後しばらくは中継ぎ投手2004年からは抑えを務め、2016年に故障から復帰してからはまた中継ぎ投手を務めるリリーフ一筋の腕(2000年に一度だけ先発登板がある)。その活躍で従来評価の低かった中継ぎ投手についての認識を塗り替えた存在である。

日本シリーズには非常に強く、6度出場して20試合に登板し、失点

愛知大学時代は外野手兼任であり、通算安打数でリーグ歴代2位数字記録している。リリーフ投手のため打席に立つ機会は非常に少ない(打席に立ったのは2007年が最後)が、通算打率は2割をえている(48打数10安打の.208)。川上憲伸のようなスラッガータイプではなく巧打者タイプだった。

球界を代表する投手でありながら、グラウンド外では全くそれらしいオーラいことでも知られ、川上憲伸マネージャーと間違われたこともあるという。ちなみには体質的に全く飲めない。

球歴

西尾高校では3年甲子園大会に出場しノーヒットノーラン記録したが、4回戦で敗退。

愛知大学では1年は外野手を兼任して出場していた。

NTT東海野球を続けていたところ、中日スカウトに見いだされる。1998年ドラフト会議中日ドラゴンズを逆名しドラフト2位で入団。ドラフト同期には福留孝介小笠原孝蔵本英智英智)がおり、かなりの当たり年と言えるドラフトであった。

中日時代

1999年ルーキーイヤーからセットアッパーとして大活躍。65試合に登板して防御率1.57、10勝を挙げ最優秀中継ぎ投手を受賞。この年のリーグ優勝に大きく貢献したが、同じくルーキーで20勝を挙げた上原浩治がいたため新人王はならなかった。

以後、2003年まで左のセットアッパーとして奮闘。この間、毎年50試合~65試合に登板しながら2001年以外は防御率1点台という驚異的な安定感を誇ったが、1999年宣銅烈2000年2003年エディ・ギャラードが守護に座っていたため、クローザーとして起用されることはほとんどかった。この間、3度の最優秀中継ぎ投手タイトルを受賞。


2004年、前年のシーズン中にエディ・ギャラードが退団したこともあって、新監督落合博満から新守護名される。ところが、この年は開幕前に風呂場で転んで故障、そので前半戦は不調が続く。それでも22セーブを挙げ、5年ぶりのリーグ制覇に貢献した。


2005年からは不動のクローザーとして君臨。2005年には佐々木主浩の持つ記録を塗りかえるプロ野球記録の46セーブ記録した。


2006年も40セーブを挙げて2年連続の最多セーブく。


2007年シーズン中盤から打ち込まれる場面が増えたが、クライマックスシリーズは4連投で突破に貢献、北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは第5戦において8回までパーフェクトを続けていた山井大介の後を受け、9回を3人で抑え史上初の継投での完全試合を達成(ちなみに参考記録)。53年振りの日本一胴上げ投手となる。


2008年も前年に続いてやや苦しむ場面が多く見られた。また北京五輪では不調であるのが明らかにも関わらず星野仙一監督が起用にこだわったため、日本代表が喫した5敗のうち3敗を岩瀬が占めることになる。シーズンでも36セーブを挙げたが防御率は2.94と、前年の2.44に続いてプロ入り以来初めて2年続けて防御率2点以上となった。これによってそれまで通算で1点台だった防御率が2点台になった。


2009年は41セーブを挙げ、3年ぶり3度セーブ王を獲得。


2010年6月16日日本ハム戦で史上3人となる通算250セーブを達成。高津臣吾佐々木主浩に続いて史上3人リリーフでの名球会入り資格を得た。シーズンでも42セーブを挙げ2年連続4度セーブ王を獲得したが、シーズン終盤には「最後の1イニング」ではなく「最後の1・2アウト」を任されることが多くなった。千葉ロッテマリーンズとの日本シリーズでも高橋聡文が9回2アウトまで取ってから最後の1アウトのために登板する場面があり、以前ほどの絶対的な信頼を置かれる立場ではくなる。


2011年は守護の座を守れるか正念場のシーズンとして迎える。序盤は「失点しても失敗はしない」投球でセーブを重ね、6月12日東北楽天ゴールデンイーグルス戦で高津臣吾日本記録通算286セーブに並ぶ。そして6月16日福岡ソフトバンクホークス戦でセーブを挙げ、通算287セーブ日本記録、歴代1位となった。後半戦は調子を上げ安定感を取り戻し、9月3日広島戦で通算300セーブを達成。最終的に37セーブ防御率1.48で2006年以来の1点台もマークした。


2012年は救援失敗が増え、8月には10年ぶりとなるシーズン中の二軍落ちも経験。シーズン後半にはついに山井大介に抑えの座を譲る場面が増えたが、それでも33セーブを挙げて5回セーブ王タイトルを獲得した(トニー・バーネットと同率)。5回リーグ最多記録、37歳での獲得は最年長記録


2013年は山井の不調もあって、結局シーズンを通して抑えを務めた。4月18日、前人未到の350セーブ達成。7月17日プロ野球史上初の10年連続20セーブ達成。9月18日には通算382セーブとし、佐々木主浩NPBMLB通算での381セーブ日本記録更新日本人通算セーブ数単独最多となった。最終的に55試合に登板し36セーブを挙げ、連続50試合登板を15年、連続30セーブを9年に伸ばした。


2014年7月26日読売ジャイアンツ戦でNPB前人未到の400セーブを達成した。しかし8月に左肘のりのため登録を抹消され、そのままシーズンを終えたため、15年続いたシーズン50試合登板、9年続いたシーズン30セーブ記録がそれぞれ途絶えた。


2015年は左肘の故障を引きずり、二軍でも登板のないままシーズンを棒に振った。オフ和田一浩小笠原道大谷繁元信山本昌と同僚の大ベテランが次々と引退する中、2億5千万円減の年俸5000万円で契約更改


2016年4月9日巨人戦で2年ぶりの一軍復帰登板を果たした。8月6日には史上3人米田哲也金田正一に続く)の通算900試合登板を達成するが、1死も取れずに3失点と打ち込まれ、敗戦投手となる。


2017年は御年42歳ながら左のセットアッパーとしての登板をこなし、6月23日には2014年以来のセーブ記録し最年長セーブ記録更新。さらに6月は14試合の登板で全試合を失点・10ホールド・1セーブという活躍でなんと2005年4月以来、実に12年振りとなるMVPを受賞した。これはセ・パ通じて最長のブランク期間である。8月6日には日本記録となる950試合登板記録立した。


2018年は開幕前のみ投手コーチを務めた。9月28日阪神戦でNPB史上初の1000試合登板を達成。10月2日に現役引退を表明し、10月13日阪神戦が引退試合となり、元同僚の福留孝介から三振を奪って現役生活を終えた。

引退後

2019年から中日スポーツ野球評論家を務める。3月2日千葉ロッテマリーンズ戦(オープン戦)では引退試合のために育成選手契約を結び、先発で出場。井上晴哉から空振三振を奪って降した。

成績

年度別投手成績

年度 球団 登板 先発 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
1999年 中日 65 0 0 0 10 2 1 -- .833 74.1 22 73 16 13 1.57
2000年 58 1 0 0 10 5 1 -- .667 80.1 28 65 20 17 1.90
2001年 61 0 0 0 8 3 0 -- .727 62.2 16 62 23 23 3.30
2002年 52 0 0 0 4 2 0 -- .667 59.2 15 66 8 7 1.06
2003年 58 0 0 0 5 2 4 -- .714 63.2 12 69 10 10 1.41
2004年 60 0 0 0 2 3 22 -- .400 64.1 14 53 20 20 2.80
2005年 60 0 0 0 1 2 46 2 .333 57.1 8 52 12 12 1.88
2006年 56 0 0 0 2 2 40 5 .500 55.1 8 44 8 8 1.30
2007年 61 0 0 0 2 4 43 3 .333 59.0 9 50 18 16 2.44
2008年 51 0 0 0 3 3 36 5 .500 49.0 10 41 16 16 2.94
2009年 54 0 0 0 2 3 41 1 .400 46.2 13 34 11 11 2.12
2010年 54 0 0 0 1 3 42 3 .250 48.0 13 41 12 12 2.25
2011年 56 0 0 0 0 1 37 7 .000 48.2 10 45 12 8 1.48
2012年 54 0 0 0 1 3 33 6 .250 51.0 13 30 15 13 2.29
2013年 55 0 0 0 2 3 36 8 .400 53.1 19 37 16 11 1.86
2014年 34 0 0 0 1 2 20 4 .333 30.2 10 18 12 12 3.52
2016年 15 0 0 0 0 2 0 2 .000 10.1 3 5 8 7 6.10
2017年 50 0 0 0 3 6 2 26 .333 35.2 14 28 19 19 4.79
2018年 48 0 0 0 2 0 3 10 1.000 35.0 7 28 18 18 4.67
NPB:19年 1002 1 0 0 59 51 407 82 .536 985.0 244 841 274 253 2.31

タイトル・表彰・その他

タイトル
最優秀中継ぎ投手 3回 1999年2000年2003年
最多セーブ投手 5回 2005年2006年2009年2010年2012年
MVP 2回 2005年4月2017年6月
カムバック 1回 2017年
その他
オールスターゲーム出場 10回 2000年-2001年2003年2005年-2007年2010年-2013年

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