島朗(しまあきら)とは、将棋棋士である。高柳敏夫名誉九段門下、棋士番号146。東京都世田谷区出身で、現在は夫人の生家である仙台市に在住。段位は九段。2013年から2017年までは将棋連盟理事も務めたが、心労で辞任。現在は、東北総括本部長となっており、東北の将棋振興に一役買っている。
名門高柳敏夫門下の一人であり、また55年組の一人。そして、記念すべき初代竜王となった人物としても有名。通算勝利数800勝以上という、将棋界有数の強豪棋士である。
17歳でプロ入りし、A級通算9期、竜王戦1組通算10期、そして初代竜王に輝いた(結局、その1期のみだが)ことで知られる。中でも竜王戦は当時、飛び抜けて賞金が高かったため、一気に財産が転がりこむこととなり、バブル全盛だったこともあって、記者会見にアルマーニを着込んで登場したことから、「アルマーニ島」というあだ名も付いた。また、高級車やブランド物の服や靴に投資してしまい、一瞬で使い込んでしまったという(それでも浪費癖は残らなかったが、多少貯金しとけばよかったと少しは後悔しているらしい)。また、当時は塚田泰明や故真部一男(プリンス真部といわれた)と並ぶイケメン棋士としても知られ、とりわけファッションセンスは棋界でピカイチだったことでも知られ、ファッションリーダーと呼ばれた。
棋風は居飛車党なのだが、振り飛車党のバイブルとまで言われた「島ノート」の著者である。また、当時からパソコンを多用し、棋風や棋譜のデータ分析を行っていたなど、今日隆盛となったパソコン研究の第一人者でもある。また、解説にも定評があり、NHK将棋講座でも非常に高い評価を得ていた。文筆にも明るく、今まで何冊もの書籍を著述している。
この研究好きという凝り性は別にデジタル方面だけでなく、島研という伝説の研究会を結成したことでも知られる。その島研には羽生善治、佐藤康光、森内俊之という次世代の担い手が所属していたことで知られ、皮肉にもリーダーの島以外は永世位に就いてしまったという。また、その3人と同世代の丸山忠久は天敵であり、0勝20敗と一度も勝てたことがないなど、彼もまた羽生善治と羽生世代の台頭によってスターダムから去っていった棋士としても挙げられている。
棋界きっての、粘らない棋士としても有名であり、ちょっとでも自分が苦しくなると先を悟り、投了してしまう。そのため、よく将棋関連の動画などで相手が粘り勝ちをしたりすると「島なら投了」というネタコメントが投げ込まれる。
趣味はモノポリーであり、全国大会に出場したこともある。そして、棋士の間で流行らせた実績がある(今も森内俊之、稲葉陽などが興じている)。そして、モノポリー普及に貢献した一人として、彼の名を冠した「島朗杯」なるものまである。
また、麻雀にもハマった時期があったが、将棋の戦績が落ちてくると、これ以上ハマるとやばいと感じ、麻雀牌をどこかに捨てたらしい(モノポリーは捨てなかったのに)。
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最終更新:2024/12/27(金) 16:00
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