島津忠隆(しまづ・ただたか 1497 ~ 1519)とは、薩摩国の大名である。島津家13代当主。
島津家11代当主・島津忠昌の嫡男。兄に島津家12代当主・島津忠治、弟に島津家14代当主・島津勝久がいる。
兄・忠治の夭逝により19歳で家督を継ぐ。父の代から続いていた琉球貿易を島津氏のみの契約として独占を図ろうと企む。忠隆が書を琉球に送ったことにより1518年に琉球王・尚真が薩摩に来航したという。
父と兄同様、忠隆自身も軍事より文学を好み傾倒したため、内乱が加速してしまい領内は荒れに荒れてしまった。
それでも吉田位清を討つなどの数少ない功績をあげた。しかし本家の勢力は衰退し、薩州家といった有力分家が台頭してしまい、薩摩国は更に混迷を深めることとなった。
1519年にわずか23歳の若さで夭逝した。島津氏の命運は17歳の弟・勝久に託されることとなった。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/25(木) 21:00
最終更新:2024/04/25(木) 21:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。