川崎ブレイブサンダースとは、神奈川県川崎市を本拠地とするバスケットボールクラブ、及びBリーグに所属するプロバスケットボールチームである。
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2016年のBリーグ開幕を契機に誕生したバスケットボールクラブである。
愛称の「ブレイブサンダース(Brave Thunders)」は、力強くスピード感あふれるプレーで、最後まであきらめず勇敢に戦っている戦士達を意味している。2001-2002年シーズンから付けられた愛称であり、それ以前の愛称は「レッドサンダース(Red Thunders)」であった。なお、愛称の一部である「ブレイブ」は本社直営のスポーツチームである野球部(東芝ブレイブ・アレウス)とラグビー部(東芝ブレイブルーパス)の愛称にも付けられている。その為、プロ化するまでの間、東芝強化スポーツ後援会『ブレイブメイト』の対象チームでも有った。
大昔、「東芝におけるバスケットボールチーム」と言えば、男子バスケットボール部であったこのクラブのトップチームではなく、女子バスケットボール部の『東芝レオスパークルズ』であった。しかし、WJBL開幕前に低迷してしまったのが災いして、将来性の有る男子チームを集中的に強化させるために、レオスパークルズは会社の方針で廃部となってしまったのだった。
2018-2019年シーズンより、親会社が東芝からDeNAに、正式名称が呼称に統一される形に、それぞれ変更され、現在に至る。
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Bリーグ開幕前は男子バスケットボールリーグのプロ化反対の急先鋒として知られてしまっており、その意志を反映するかの如く、トップカテゴリが完全プロ化を強行するまで一貫して社員選手で固めていた。
これは、東芝自体がグループ傘下のスポーツチームに対して徹底的なアマチュアリズムを貫いていることも深く関係している。その為、プロ化したサッカー部(※現在の北海道コンサドーレ札幌)とクラブチーム化した女子バレーボール部(※現在の岡山シーガルズ)は東芝の下を離れ、ついでに資本関係も一切なくなってしまった。
一方、男子バスケ部はそんな中でもリーグ優勝も成し遂げてしまうのだから大したものであるとも言える。ただ、所属選手は「東芝の社員」としてしか採用しないため、有力選手がプロ契約として採用してくれる他チームへ移籍してしまうというのが度々起こっていた。
しかし、Bリーグ創設計画進行の際には、"プロ化しないとプロ化する必要がないB3リーグに飛ばすぞゴラァ!!(# ゚Д゚)"と逆にある意味脅迫される形となってしまい、これまで"トップカテゴリに居続けたいけどリーグとチームのプロ化は絶対イヤ!ヽ(;`Д´)ノ"と押し切り続けてきた東芝は渋々とプロ化を承諾。その際に所属選手のセカンドキャリアを保証するというおまけも付けたのだった(※選手のセカンドキャリアについてはリーグ、そして各チームともに課題項目であるが、比較的それが明確になっているBリーグ所属チームはここぐらいであった)。
余談だが、『やらない子で学ぶバスケ分裂問題』シリーズに登場する、『黒子のバスケ』の登場キャラクターである赤司征十郎とその登場組織である赤司グループに見立てた組織は、大体東芝のことである。
何だかんだ言いながらもB1リーグ所属に決まった。だが、東芝という大企業の一福利厚生でしかなかったこのチームを今後はプロチームとして運営していく為のノウハウが、支えてきたスタッフたちには無かった。今までリーグのプロ化を一貫して反対してきたこともあってか、当たり前といえば当たり前なのかもしれない。それでも、なんとか開幕までにプロチームとしての体裁を整え、稼いでいけるようにならないといけない・・・開幕まで既に4ヶ月を切った日のことだった。
旧運営法人であるTBSLサービス株式会社の社長だった荒木雅己は、そのノウハウが無い状態からのスタートだった故に"辞めたいと思ったことは何度もあった"と当時を回顧した。
そんなこんなで無事、開幕までに体裁を整えることに成功すると、そこからはチームのみならず、クラブスタッフも奮起していく。チームはリーグ初年度で年間成績準優勝、クラブスタッフたちは1試合2000人以上の入場者数を達成した。しかし何より彼らクラブスタッフが重要に感じたのは、ファンとの一体感、そしてそれに応えるかのごとく選手たちのスタンスが変貌していったことだった。
荒木曰く"企業スポーツで稼ぐなんて・・・と思っていたが、見直す時期に来たのかもしれない。もっと早くプロ化に舵を切るべきだったのかもしれない"と。彼の考えが180度変わっていった瞬間であった。(この考えがせめて1文目ぐらいは府中事業所にあるラグビー部にも浸透しますように)
その後は既に述べた通り、東芝は社の経営難を理由に、クラブをDeNAに譲渡した。これについて荒木は"僕の使命はチームを永続させること。最悪の結末にならなくてよかった"という。
さて、譲渡されたDeNAだが、新運営法人の社長に就任した元沢伸夫社長は、これまでの歴史を大事にしていくことを決意しており、名称とクラブカラー(チームカラー)は既に維持することを決めていた。ただ、新しい歴史を刻む決意を示す為に、約18年間振りにロゴが変更となった。そのロゴには「SINCE 1950」という、歴史を引き継いでいる意味が込められた一文が添えられていた。
果たして、これらが新たな基本ミッションである「日本でバスケットボールをメジャーにする」と共に達成される日はいつになるのか?全てのスポーツファンはその瞬間を一緒に分かち合うためにも、今からこのクラブを注視し始めてみてはいかがだろうか?
スポーツナビの動画一覧でも観てろ。(訳:当チームのは全くない。誰か投稿して差し上げろ。)
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最終更新:2024/12/06(金) 05:00
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