工藤公康単語

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工藤公康(くどう きみやす、1963年5月5日-)とは、愛知県出身の元プロ野球選手投手)である。

現役時代は埼玉西武ライオンズ福岡ダイエーホークス読売ジャイアンツ横浜ベイスターズに所属。2015年から2021年にかけて福岡ソフトバンクホークス監督を務めた。

概要

名古屋電気高等学校(現:愛知工業大学名電高等学校)時代は山本幸二とバッテリーを組み、1981年甲子園に出場。2回戦でノーヒットノーランを達成し、チームベスト4に導いた。その年ドラフト6位で西武ライオンズ名される。当初は熊谷組に就職しようとしていたが、管理部長根本陸夫の説得を受け入団した。

プロ入り後

1982年パリーグ前期後期制時代のプレーオフに出場し、江夏豊と投げ合って勝利投手になった。同形式のプレーオフはこれが最後であり、旧プレーオフを経験した最後の選手であった。

1986年日本シリーズでは、0勝3敗1分と追い込まれた第5戦で10回からリリーフ登板。12回裏には一打サヨナラチャンスタイムリーを打ち、1958年稲尾和久以来の投手サヨナラヒットとなった。1959年からパ・リーグの本拠地では指名打者DH)制を採用することになったため、今後パ・リーグ所属の投手サヨナラヒットを打つ可性は低い。

1994年FA福岡ダイエーホークスに移籍。エースとして活躍すると共に、城島健司日本を代表する捕手にまで育て上げる。1999年ダイエー史上初の優勝日本一に貢献した。

2000年FA読売ジャイアンツ巨人)に移籍。日本シリーズでは前年所属していたダイエーを退け日本一に貢献。2004年には通算200勝プロ入り初ホームラン記録した。

2007年FA巨人に移籍した門倉健人的補償として横浜ベイスターズに移籍。江藤智に引き続き、FA人的補償を経験した2人の選手となった。その後、最年長記録を次々と更新していく。
同年巨人勝利し、史上初の「全13球団(近鉄含む)から勝ちを挙げた投手」という記録を達成した。

2008年野村克也を抜き、実働記録を28年に更新したが、その年は勝ちがなかった。2009年中継ぎとして登板するも、若返りを図るチームの方針により自由契約となり、古巣の埼玉西武ライオンズに16年ぶりに復帰した。背番号55。

2010年二軍スタートだったが、7月20日福岡ソフトバンクホークス戦にて一軍で登板し、自身の持つ実働年数記録更新した。しかし10試合に登板して0勝2敗、防御率10.50と不本意な結果に終わり、9月27日戦力外通告を受けた。

その後も獲得する球団は現れなかったが本人は現役続行にこだわり続け、2011年は治療やトレーニングに専念して再起をしていたが、2011年12月9日に自身のブログで引退を表明した。exit

引退後

引退表明前に古巣の横浜を買収したDeNAから監督要請を受け就任はほぼ確実と思われたが、GMに就任した高田繁コーチ人事などをめぐって対立したため、12月5日に交渉決裂となった。

2012年背番号に因んだ4月7日西武ドーム引退セレモニーが開かれた。その一環である始球式では、かつてチームメイトであった渡辺久信西武監督)が受け止め、秋山幸二ソフトバンク監督)が打者として立つという、面子で行われた。
同年から野球評論家となり、テレビ朝日報道ステーションなどで野球解説者を務める。2013年WBCにおける同局の中継では、オッケーイこと古田敦也良い意味で悪い意味で解説を繰り広げた。

2015年からは福岡ソフトバンクホークスの一軍監督に就任。背番号秋山監督が付けていた81。
2021年まで7年間監督を務め、リーグ優勝3回、日本一5回と球団史上に残る黄金時代を築いた。特にポストシーズンの短期決戦類の強さを発揮し(CS日本シリーズでは通算45勝12敗1分、勝率.789)、大胆な選手起用がズバズバ当たる様から「短期決戦」とも称された。その一方、レギュラーシーズンでは2016年2019年と首位独走から大逆転される歴史的V逸が2回あったりしたためか、監督成績のわりにファンからの評価は何かと毀誉褒貶がしい。

人物・その他

成績

  • は歴代1位

通算投手成績

通算 登板 先発 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB:29年 635 472 116 24 224 142 3 10 .612 3336.2 1128 2859 1379 1279 3.45

通算監督成績

通算:7年 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 順位等
NPB 978 558 378 42 .596 日本一5回、リーグ優勝3回、Aクラス6回、Bクラス1回

タイトル・表彰

タイトル
最優秀防御率 4回 1985年1987年1993年1999年
最高勝率 3回 1987年1991年1993年
最多奪三振 2回 1996年1999年
MVP 2回 1993年1999年
日本シリーズMVP 2回 1986年1987年
ベストナイン 3回 1987年1993年2000年
MVP 1回 1991年4月
ゴールデングラブ賞 3回 1994年1995年2000年
最優秀バッテリー賞 2回 1991年伊東勤)、1999年城島健司
太郎 5回 1987年2015年2018年-2020年

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最終更新:2024/03/19(火) 19:00

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