曾我兄弟に敵討ちされた人物として、極めて有名な人物。ただし、『曾我物語』と『吾妻鏡』ではかなりキャラクター性が異なり、真実の彼はまじめに謎。
伊豆の有力武士団・藤姓狩野氏の一族だった伊東氏だったが、全ては彼の父・伊東祐継に惣領職が移されたことに始まる。本来惣領だったはずの父から譲られるつもりだった彼のいとこ・伊東祐親はこのことを盛大に恨み、伊東祐継が死ぬと惣領の座を取り戻し、この工藤祐経は追い落とされたのである。
そして、工藤祐経はこのことを盛大に恨み、暴力的な手段に出た結果、誤って伊東祐親の息子・河津祐泰を殺してしまう。この復讐の連鎖故に彼が最後殺されたというのが、『曾我物語』の筋書きである。
一方、伊東氏とは異なり、この工藤祐経は源頼朝に与した。『吾妻鏡』では文化人・工藤祐経として何かあると出てきており、源頼朝の前に連れてこられた平重衡や静御前の鼓役を担ったのがまさに彼であった。
ただし、武士としての活動もちゃんとしており、源範頼の九州攻略、総仕上げである奥州合戦などにも参戦している。
ところが、唐突に伏線は回収される。建久4年(1193年)に富士で旅行と軍事演習を兼ねた催しを源頼朝以下御家人達がやっていた最中、河津祐泰の息子・曾我祐成・曾我時致兄弟に暗殺されたのである。この時期、古参御家人や門葉等が一連の失脚をしていた時期でもあったため、この事件は実際にはもっと大きな何かだったとも言われているが、何分ソースが少なく、まだ詳細はよくわかっていない。
ただし、この曾我兄弟の敵討ちは『曾我物語』として極めて有名になり、現代に至るまで悪役として何かと出番があるのが、この工藤祐経であった。
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最終更新:2024/12/01(日) 03:00
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