常滑市とは、愛知県知多半島の中央付近に構える市の一つである。
愛知県知多半島の西海岸に位置し、面積55.63平方キロメートル(平成20年4月1日現在)、東西6キロメートル、南北15キロメートル、海岸線19.8キロメートルの南北に細長い構造を持つ。北に知多市、東に阿久比町、半田市、武豊町、南に美浜町に隣接し、気候は年間を通じて温暖で適度の雨量があり、海、山の幸に恵まれている。
平安時代末期ころからの「古常滑」と呼ばれる焼き物の産地として知られ瀬戸、信楽、越前、丹波、備前と並び、日本六古窯のひとつとされ中でも最も古く最大の規模とされる。窯業は現在も主産業としており、ほかには繊維、工業、機械金属工業、醸造業などを行っている。
農業は大規模な耕地整備が進められ、野菜、果物などの栽培が盛ん。漁業も盛んで、魚の宝庫といわれる伊勢湾から多種類の魚が獲れ、のり養殖も行っている。
大東亜戦争末期、ロケット戦闘機秋水に使う燃料タンクの製造を命じられ、専用の常滑焼や容器を大量に製造した。これらの容器はロ号兵器と呼称されていた。しかし秋水が実戦配備される前に終戦を迎えてしまったため、実際に使用される事は無かった。現在でもその残骸が確認できる。
古常滑焼とも言われる常滑焼の原型は、平安時代末期まで遡ることができ日本六古窯のひとつに数えられています。
平安時代には、仏教のお経を書いたものを入れて地中に埋め
ご利益を願うための経塚壺(きょうづかつぼ)が作られていました。室町・安土桃山時代には茶の湯や生け花用品が主に作られ、江戸時代中期まではかめ
江戸時代末期からは、茶の湯や生け花用品に加えて暮らしの器が主な製品でした。
⇒常滑焼セラモールHPより引用
古常滑という言葉は、古瀬戸に対応して中世の常滑焼という意味に用いられることが多い。
しかし、この意味での古常滑は、昭和戦後期の主として沢田由冶先生たちが使った言葉だった。
その一方で古常滑が古い常滑焼であって、かならずしも中世までさかのぼらないという使用例がある。
それは江戸時代の茶会記に出てくる古常滑で、そのほとんどが水指(みずさし)である。
おそらく、その古常滑水指とは、初めから水指として作られたのではなく、窯屋が自家用に作ったものであるとか
近在の農家のために作ったものであった可能性が高い。
つまり、転用されて茶道具となったものだ。それらは、窯詰めのときに、横倒しにして詰められたりしている。
そこがまた面白いのだが、その面白さは作り手の意識にはなく
作り手は窯のスペースを有効に使おうとしたにすぎないのではなかろうか。
そして、その作り手の意図せぬ面白さを発見するのが茶人である。
彼らは、その焼き物をお茶の道具につかった。
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最終更新:2024/04/25(木) 18:00
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