平井光親(ひらい みつちか)とは、元プロ野球選手である。
OB | |
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平井光親 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県糟屋郡 |
生年月日 | 1966年11月8日 |
身長 体重 |
175cm 78kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1988年 ドラフト6位 |
引退 | 2002年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
大学は愛知工業大学に進学。2学年先輩には西崎幸広がいた。ここで実力をつけ、在学4年間で首位打者1回を獲得し、ベストナインに5度選出、4年春のリーグ戦ではMVPにも選ばれている。
1988年ドラフト会議にて、ロッテオリオンズからドラフト6位指名を受け、入団。
入団2年目の1990年、レフトの守備の際にフェンスに激突しながらもボールをキャッチ。平井は負傷し救急搬送されたが、金田正一監督は気迫溢れるプレーを見せた平井を「突貫小僧」と絶賛し評価を得る。
1991年、レフトのレギュラーに定着し打撃開眼。7月頃から規定打席未到達ながら3割台の打率をキープし続け、規定打席ぴったりで打率.3144をマークし、松永浩美を4毛差で抑え、首位打者のタイトルを獲得。ベストナインにも選ばれた。
翌シーズンからやや調子を落としたものの、1994年にレギュラーに復帰し、リーグ最多の6三塁打を記録。
1998年に再び首位打者争いを繰り広げ、オールスターゲームにも初出場。最終的には打率.358をマークしたオリックス・ブルーウェーブのイチローに大きく差をつけられたものの、例年通りなら首位打者獲得も可能な打率.320(パ・リーグ2位)をマークした。
引退後はロッテのコーチや球団職員を務め、現在は母校である愛知工業大学の監督を務めている。
全力プレーを持ち味とし、シュアな打撃で安打を量産したヒットメーカー。
キャリアの中頃からはチームバッティングに徹し、犠打や進塁打で貢献することも多かった。
シーズン111安打での首位打者獲得は歴代最小安打数での受賞。また、ロッテオリオンズ最後のタイトルホルダーでもある。
通算:14年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1067 | 3491 | 3027 | 343 | 822 | 39 | 294 | 20 | 100 | 22 | 331 | 11 | 397 | 51 | .272 | .343 |
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最終更新:2024/04/25(木) 13:00
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