平成教育委員会とは、1991年~1997年までフジテレビ系で放送されたクイズ番組である。
現在も不定期特番として、また兄弟番組となる「熱血!平成教育学院」が後に放送されるなど、非常に息の長い番組となっている。
小学校から中学校程度の基本程度レベルの問題を解くクイズ番組。
一見簡単そうに見えるが、改めて解くとなると基礎レベルの問題でも悪戦苦闘するという大人たちの姿が話題となり、人気となった。
学校の時間割のように教科ごとにコーナーが分かれており、そこで最も正解した生徒には「たけしおとし」という組み立て式の人形(ビートたけしが学問の神様・菅原道真の格好をしている)の1パーツが進呈される。それが全て組みあがると世界一周留学旅行が獲得できた。
また、その回の最優秀生徒には番組特製優等生ブレザーなどが贈呈された。
当初はビートたけしと逸見政孝によるダブル司会で、たけしは「先生」、逸見は「学級委員長」という肩書で登場。
番組タイトルも「たけし・逸見の平成教育委員会」と、二人の冠番組という体裁をとっていた。
この時期の司会進行はたけしと逸見が共に行なっていたが、逸見はクイズが出題されると解答者として問題に答えるという形を取り、司会者であり解答者でもあるという他のクイズ番組では見られない形式を取っていた。
しかし、1993年末に逸見が急逝。しばらくは正式タイトルを変えなかったのだが、翌1994年夏にビートたけしもバイク事故で長期入院したため番組出演不能となり、代理司会を週替わりで立てるとともに二人の名前がタイトルから外された。
たけしの番組復帰以降はビートたけしのみが「先生」として司会を務めている。
この番組の大ヒットによって、1976年から長年に渡って土曜19時半に君臨していた「クイズダービー」(TBSテレビ)を1992年に終了へ追い込んだ。
「クイズダービー」から見ると、番組の顔であった初代司会者の大橋巨泉の降板(1990年)から徐々に視聴率が低迷し始めており、弱ってきたところに「平成教育委員会」でとどめを刺された格好である。
なお、大橋巨泉はたけしの長期入院中に代理司会として登場している。
1997年に一度終了したが、2000年から再び不定期特番として放送されており、根強い人気を誇っている。平成が終わって令和に年号が変わっても、FNS27時間テレビ内で『令和教育委員会』として特番が組まれるなど、異例の息の長さを誇る。
この番組のアイディアはビートたけしが発想したものだと言われている。
1986年にフライデー襲撃事件を起こし長期の活動謹慎をする事態になったたけしが、時間に余裕ができたのを機に改めて小学校や中学校などで習う内容のドリルで勉強してみたところ、社会人としての知識や常識と学校教育で習う一般常識の基礎とのズレに気がついた。さらに、自身の事務所やTV局にこれらドリルを持ち込んでスタッフに解かせてみたところ、腹を抱えて笑うような珍回答が続出した。閃いたたけしは自ら番組企画書を書いて提出。これが面白がられて受け入れられ、番組化に至った、とされる。
掲示板
23 ななしのよっしん
2019/11/02(土) 19:23:23 ID: 5EHw4x0szq
令和になってどうなるんだろうと思ったら令和教育委員会になった以外特に変わらず放送してたわ
そりゃまあそうだけどちょっと拍子抜けした
24 岐阜のかっちゃん
2019/12/07(土) 18:41:47 ID: QcsY3IYe/E
私が「平成教育委員会」を見たのが1992年の「新学期スペシャル」のあとの回からで何回か録画ミスしたけど、なんとか見たことを覚えてる。
ただ、その後だが、不運にも「平成教育委員会」を録画したビデオテープが出てきてボー然となったものだよ。
25 ななしのよっしん
2022/02/22(火) 00:05:52 ID: e5Sp/5k9p2
30年ぐらい前に平成教育委員会を24時間テレビ化した平成教育テレビはいろんな意味で凄かったなw
100万円を全問正解者で山分けするファックスで解答を送る20問の問題がガチ過ぎて全問正解者が一人か二人だったとか色々印象深い事があったのを覚えているわ
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最終更新:2025/03/28(金) 16:00
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