弥介 / 弥助(?~?)とは、戦国時代の人物である。モザンビーク出身というのは木下杢太郎/太田正雄が『アレッサンドロ・ワリニヤニの第一回来朝』で述べていることだが詳細は不明。
当時の史料で唯一漢字が書かれた『家忠日記』には弥介(さらに正確には旧字の彌介)とあるのだが、なぜか伝言ゲームを続けるうちにちゃんとした本以外ではもっぱら弥助と書かれるようになった。
なお、一般名詞に近いが、固有名詞としてはこの人物にしか使われないため、特に曖昧さ回避はしない。
織田信長と関わった黒人奴隷として極めて有名な人物。ぶっちゃけそれ以外に特に書くことはないのだが、平成になったあたりから数々の歴史創作にモブとして割と出がちである。
おそらくアレッサンドロ・ヴァリニャーノの来日した1579年に日本に連れてきたとされる。弥介はヴァリニャーノとともに新暦の3月8日に豊後を発ち、京都に訪れた。
1581年4月14日のルイス・フロイスの書簡によると、天正9年(1581年)の2月23日に織田信長が宣教師が連れていた黒人を見に行き、織田信長は彼の肌の色が信じられなかったようだ。
復活祭日に続く週の月曜日、信長はこの都にいたが、多数の人々が黒人を見ようとして我らの(修道院)門前に詰め掛けたため、これが騒ぎの発端となって投石による負傷者や瀕死者が出た。門を警固する者が大勢いたにもかかわらず、人々が門を破ろうとするのを容易には抑えることができなかった。皆が言うには、もし金儲けをするために(黒人を)見世物にしたならば、少なくとも一人の者が短期間に八千乃至一万クルザード(の金)をいともたやすく稼ぐであろうとのことである。
信長(もまた)黒人を見ることを切望し、彼を呼び寄せ、オルガンティーノ師が彼の許に連れて行った。信長は大変な騒ぎようで(黒人の)腰から上の衣服を脱がせたが、それ(膚の色)が自然であって人工のものでないことを信じなかった。
信長の息子たちもまた黒人を呼び寄せ、皆大いに喜んだ。今は大坂の指揮官である信長の甥も黒人を見て非常に喜び、これに銭一万を与えた。彼らの見物を得たために、我らには非常に多忙なことであった。
そして、10月8日付のロレンソ・メシアの書簡によると、この人物を気に入った織田信長は庇護してあちこち連れまわしたという。
司祭は黒人を一人同伴していたが、都においては初めて目にするものであったがため、誰もが驚嘆し、彼を見に来た人は無数であった。信長自身、彼を見て驚き、生まれつき(膚が)黒いのであって墨による細工でないことを納得しなかった。たびたび、彼を観、幾らか日本語を解したので彼と話して飽くことがなく、また黒人は非常に力がありいくらかの芸ができたので信長は大いに喜んだ。
今では彼を厚く庇護しており、その旨を諸人に知らせるため、腹心の家臣一人を付けた市中を巡らせた。人々が言うには、(信長は)彼を殿にするであろうとのことである。
ここで、このような表現をしたのは、他でもない。ぶっちゃけ、家臣というのはロレンソ・メシアのあちこち連れまわしてそのうち殿とするんじゃなかろうか的な記述の、拡大解釈に近い。実際、例の家臣辞典に弥介の項目はまだなかったりするし…。
というか、新暦5月14日のルイス・フロイスの北ノ庄滞在に黒人が同伴されているため、確実に弥介はついてきている。おそらく京都と同様の事態になったと思われるが、そもそも南蛮人自体北陸や帰りに滞在した長浜で目撃されるのが初めてだったため、弥介にというよりも一行に注目が集められ大変な騒動になり、弥介に関するエピソードを抜き出せるわけではない。
とはいえ、織田信長はこの人物をかなり気に入り、甲州征伐にまで連れていった結果、徳川家康家臣の松平家忠の『家忠日記』に残ったというわけである。なお、今のところ弥介の名前の出典はこれくらいである。
身ハすミのコトク、タケハ六尺二分、名ハ弥介
ちなみに『信長公記』に出てくる記述はこの程度である。
年の齢廿六・七と見えたり。惣の身の黒き事牛のごとく。彼男すくやかに器量なり。しかも強力十の人に勝たり。
ー-『信長公記』
そして、この弥介は、結局織田信長に贈られたようであり、本能寺の変の時、本能寺から二条城に向かって転進し、織田信忠軍と共に戦っていたようである。ルイス・フロイスが記した1582年の日本年報追信によると、明智光秀の配下の説得で戦いをやめたが、明智光秀に動物で何も知らず、日本人でもないので、殺さずにインドのパードレの聖堂に置け、的なことを言われた、という記述で彼の出番は終わる。なお、この発言は宣教師によるものなので、事実かは不明。
信長の求めによって巡察師が彼の許に残していった黒人が信長の死後、世子の邸へ行き同所で長い間戦っていたので我らは少なからず心配していたが、明智の一家臣が彼に近づき、恐れずに刀を(棄てるよう)求めたところ、彼はこれを差し出した。
別の家臣が明智の許に行き、黒人をいかにすべきか問うたところ、その黒人は動物であって何も知らず、また日本人でもないから彼を殺さず、インドの司祭たちの教会に置くように命じた。これによって我らは幾分落ち着き始めたが(以下省略)
創造でユーザーズページの配信武将として初登場。その後大志で完全にゲーム内武将として定着した。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
嵐世記 | 采配 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||||
蒼天録 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
創造 | 統率 | 43 | 武勇 | 91 | 知略 | 35 | 政治 | 8 | ||||||||
大志 | 統率 | 43 | 武勇 | 91 | 知略 | 35 | 内政 | 8 | 外政 | 21 |
掲示板
23 ななしのよっしん
2023/08/15(火) 19:37:38 ID: F92qfRrwEE
少し前はようやくフィクションでもスルーされてた
織田信長の元に黒人の侍がいたっていう面白い史実が描かれるようになってきてたんだよね
でもポリコレVSアンチとか
歴史フィクションの第一人者足り得るコエテクとNHKが狙って打ったとしか思えない黒人の歴史認識に関する最悪の手で
再び存在スルーどころか「織田信長の時代を描いたフィクションにも黒人の侍を出せと言うのか!」と本気で言う人が沢山出るまで後退しちゃったんだ
悲しいなあ
24 ななしのよっしん
2023/10/06(金) 20:03:36 ID: 8p5Y451NSL
マイルス・デイヴィスみたいな見た目で出演してる某漫画で初めて知ったわ
25 ななしのよっしん
2024/02/19(月) 16:19:50 ID: kFdRTst3of
実写映画化するなら監督はタランティーノで頼む
ニガー連呼する信長を見てみたいわ
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/25(木) 22:00
最終更新:2024/04/25(木) 22:00
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