御手杵(刀剣乱舞) とは、ブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に登場する刀剣男士である。
三名槍が一本。御手杵だ。槍身は他二本よりでかく、重いんだが、機能は刺すことに特化してるんだ。
そんなわけで、細長く手杵みたいな鞘を使ってたことからこの名がついた。……までは良かったんだけどなあ。参勤交代用に、名前を強調したでっかい鞘が作られちゃって、これが重いこと重いこと……。(刀帳)
天下三名槍のひとつで、駿河国島田の刀工、五条義助作の槍。
参勤交代用に名を強調して作られた大きな手杵型の鞘がある。
突くための運用に特化した作りで、支援してくれる脇差と仲が良い。
所々跳ねた髪型が特徴的な、人のよさそうな印象の青年。他の二本と比べると幾分若く見える。
戦装束は学ラン風の洋装に、腰回りにベルトや草摺をつけている。中に来ている赤いTシャツには炎の模様が金で描かれており、真剣必殺の際に露わになる。
内番衣装は同色のジャージ。胸に「御手杵」と刺繍されており、シンプルながら違和感のないスタイル。
見た目通りの温和で気さくな兄ちゃんで、審神者に対してもフレンドリーに接してくる。
少し抜けたところもあり、隊長に任命すると 「行列の先頭に立てばいいのか?」遠征に行かせると 「参勤交代か?」 と、見事なボケを発揮してくれる。
戦に行かせると 「待ってたぜ」 と楽しそうにしており、なかなか好戦的である。
ぱっと見こそ近所にいそうな兄ちゃん素朴だが、会心攻撃では「針の穴を通すが如く!」と凜とした一面を見せ、非常に武器らしい男士と言える。
その一方で、他の三名槍(日本号・蜻蛉切)に比べると逸話が見劣りすることを「肩身が狭い」とぼやいており、それゆえか自己評価が些か低い一面がある。誉を取った際などは 「俺? 俺が一番でいいのか?」 と心底驚いた様子である。
とはいっても、「刺すことだったら負けない」と、自分の刺す力には確固とした自信を持っており、とりわけ一騎打ちの際は非常に凛々しい姿を見せてくれる。
また、ランクアップ時は「これなら他の二本にも、きっと……」、真剣必殺時は 「他の二本に負けられない」と発言しており、逸話の面で引け目はあれど、三名槍としての矜持や、前向きな姿勢もしっかり持っているようだ。
同田貫正国(刀剣乱舞)と共に江戸に出陣すると回想「無用の長物」が発生。太平の御世において共に「無用の長物」とされた二振だが、歴史修正主義者との戦いに身を投じる現状を「皮肉なもんだ」と語っている。
また2019年1月22日に実装された「青野原の記憶:阿弥陀ヶ峰」で回想「阿吽の長物」が発生。この時代における敵の狙いについて両者それぞれに見識や意見を交わす、いかにも武人らしい描写が新たに加わった。
また骨喰藤四郎(刀剣乱舞)とも回想「同病相憐れむ」が発生。同田貫から「バミ」なるあだ名をつけられた骨喰と言葉を交わし、自分も何やらあだ名を頂戴したらしいが、誤魔化そうとして失敗するなど、微笑ましいやり取りとなった。
絵師であるminato氏により、pixivに御手杵のイラストがアップされた時にはTwitterでめでたくトレンド入りを果たす。タイトルが「otegine」だった事に加え、素晴らしくイケメンな事もあり(基本的に刀剣男士はイケメンなのだが)かっこいい御手杵に対して「これは良いotegine」と言われる事もしばしば。
その他にも二次創作として、男子高校生に見える繋がりで陸奥守吉行(刀剣乱舞)、同田貫正国(刀剣乱舞)、獅子王(刀剣乱舞)、大倶利伽羅(刀剣乱舞)などとわちゃわちゃする傾向がある。
2019年公開の映画「引っ越し大名!」では元の主である松平大和守家の国替えを描いており、劇中にも御手杵が「家宝の槍」としてばっちり登場。更にはゲームとのコラボが実現し、描き下ろしイラストとともに御手杵からのコメントが寄せられ、当日見事にTwitterトレンド入りを果たした。
刀種の特性上、ある程度レベルが上がるまでは苦戦する場面が多いが、成長しきってしまえば非常に頼りがいのある男士である。
基本ステータスは他2本の平均とでもいった感じだが、偵察値に関しては特が付けば40(太刀~打刀位)まで伸びるので偵察時に部隊の足を引っ張りにくい。機動もそこそこあるため馬や装備で調整すれば開幕一番に行動するのもそう難しくない。
仮に脇差で部隊の他面子を固めるなどすれば、偵察を成功させた上で、持ち前の衝力に脇差編成ボーナスによる会心の一撃発生率upが重なり高確率で相手を押し出すことができる。さらに脇差はクリティカル時相手を押し出しやすい性質があるため、例え相手の生存や刀装を削りきるのが困難な場合でも押し出しにより勝利できる可能性が高くなる。
2019年6月25日、極が実装。槍としては初となる。またレア度の上昇に伴い刀装のスロット数が一つ追加された。Lv65で修行に出す事が可能。
また極の固有能力として、敵への攻撃回数が稀に3回になる能力が追加された。この能力が発現した際には特殊なエフェクトと演出が見られる。
修業に赴いた先は下総国。槍である自分を作らせた結城晴朝の治める地にて、里帰り気分を味わう。
「三名槍として、日本号や蜻蛉切に負けない力を手に入れたい」という強い希望の下、かつての主である結城秀康の下に逗留し、自身を見つめなおす御手杵。武勇に優れた逸話が多々伝わる秀康について、「残念ながらいくさで武功を挙げる機会に恵まれない方」と語る。
結局この地で自分が戦闘経験を重ねる事は出来ない事を早々に悟るものの、その秀康が「自分ではどうにもできない運命に翻弄され、病で若くして亡くなった」事を手紙に綴る。その無念さを看取る必要が自分にはあったと語り、たとえ自己満足に過ぎなくとも、かつての主の代わりに「自分が天下一の槍になればよい」と決める。そしてそれを手伝ってくれるよう今の主である審神者に願い、本丸に帰還を果たした。
学ラン風の洋装の下は白のワイシャツに変化。武装の装飾も増えており、左肩の鋭い棘のような意匠は、結城秀康の「黒漆塗唐冠形兜 飛雲脇立付」(福井市・運正寺蔵)を踏まえたものと思われる。
「脇差の支援がないととてもやっていけないよ、俺は」など、程々に気の抜けた発言は健在だが、三名槍としての自負やいかにも武人らしい気骨ある台詞が増えた。
戦闘ともなれば「天下三槍がひとつ御手杵、突撃する!」と高らかに名乗りを上げ、「針の頭を穿つが如く!」と十全にその槍を振るう。真剣必殺では「三名槍なめんなァ! 串刺しにしてやる!」と吠え、誉を取れば「一番!くうう~っ!いい響きだぜ!」と喜びを露わにしている。
内番では相変わらず文句は言うものの、仕事はきっちりこなす。馬当番しかり、馬装備時(乱舞Lv5)しかり、何かと馬に張り合っている台詞は必聴。
室町時代に駿河国嶋田の刀工・五条義助が鍛えた大身槍。
日本号・蜻蛉切と並んで天下三名槍と称される。
江戸時代には「西に黒田の日本号あり、東に松平の御手杵あり」とも言われていた。
下総国の大名・結城晴朝が作らせ、その養嗣子・結城秀康に伝わった。
名の由来は「鞘が細長くくびれていて手杵のようだった」という伝承から。なお後世では参勤交代用に、大きな杵を象った熊毛鞘に収められていた。
最大の特徴として、尋常ではない大きさの穂(刃長)が挙げられる。
切先から石突までの拵えを含めた全長は約3.8m。槍身は穂(刃長)が4尺6寸(138cm)、茎(柄に埋まってる部分)まであわせると全長7尺1寸(215cm)にもなる。
参考までに、同じく大身槍である日本号の穂は約80cm、蜻蛉切の穂は約44cm。穂の長さだけに言及するなら大太刀と同等であり、重量は20kg近くにもなる。
刃の断面は三角形になるために斬ったり薙いだりはできず、あくまで突きに特化した槍である。玉鋼をこの形に成形する事は極めて難しいとされ、刀工の高い技術を表している。
秀康亡き後は、松平大和守家(前橋・川越松平家)に伝承され、家宝として大事に扱われていた。
非常に目立つ造りだった事もあり、江戸時代には参勤交代の行列の先頭として使用されていた。前述の熊毛鞘も含めた重さは相当のもので、運ぶのに大変苦労したという。
御手杵本刃は「逸話がぱっとしない」と言っているが、鞘を払えば雪が降る、参勤交代の先頭に立てば雨が降るという伝承が残されている。
また、御手杵の本体に少しでも錆がつけば丁寧に取り除かれ、研師は昇給するのが習わしだった。しかし家宝に錆を生じさせる不手際を己の誉にしたくないという想いからか、研師は御手杵に錆を見つけるたびに「このくらいは錆の内には入らない」と言って手入れを行い、昇給を断り続けたという逸話がある。
同様の台詞を御手杵が口にするのは、この逸話が元ネタ。
昭和4(1929)年に東京で開催された「日本名宝展覧会」に出展。黒田侯爵家に収蔵されていた日本号と同じ会場に展示され、東西槍が揃い踏みした事がある。
余談だがこの展覧会、第一回に三日月宗近・江雪左文字・にっかり青江・不動行光・大倶利伽羅・太鼓鐘貞宗、第二回に鳴狐・へし切長谷部・歌仙兼定・一期一振といった顔触れが一堂に会している。→日本名宝展覧会目録並解説
しかし昭和20(1945)年5月25日の東京大空襲で土蔵が焼夷弾の直撃を受けて全焼。所蔵されていた多くの宝物と共に焼失した。そのため、三名槍の中で唯一現存しない槍となっている。
当時の記録によると、地中に埋める事で戦火を避けるように当主から指示が出されていたが「家宝にそのような事は出来ない」と旧家臣らが聞き入れず、結果として焼失してしまった。また、湿気を抑える為に土蔵の床に木炭を敷いていた事が災いし、蔵の内部が溶鉱炉のように高熱化したという説がある。
戦後、日本刀の鑑定・研磨師であった本阿弥光遜に持ち込まれた時には復元すら出来ないほど損壊し、ただの鉄塊であったと伝えられている。
その後、かつての所有者ゆかりの地でレプリカが作成され、それぞれ当時の姿を今に偲ぶ事が出来る。
祭礼やイベントに合わせて公開される事もあるため、興味を持たれた方は足を運んで実際に見てみるのも良いだろう。
また、空襲で共に焼失した式部正宗と共に、写しが作成される事が正式に発表。2018年に完成した。
なお現在はゲーム中で聞けなくなっている台詞のうち、御手杵が中傷状態の時に 「くそっ……またあの変な夢か…」(※要反転)というものがあり、上記の史実と関係するのではないかと推察されている。
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最終更新:2024/04/26(金) 02:00
最終更新:2024/04/26(金) 02:00
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