この項目は、『まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』のネタバレ成分を多く含んでいます。 続きを読みたい方はスクロールをしてください。 |
悪魔ほむらとは、劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語に登場した暁美ほむらの姿である。
『劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』において、あるきっかけにより登場する悪魔のような姿になったほむら。円環の理から外れ、魔女以上の存在と化した“魔なる者”である。
ほむらが自ら悪魔と称したのみならず、設定資料に「悪魔ほむら」と表記されていることから、この名称が最も普及しているが、他にも様々な呼び名が作られた(後述)。いずれにせよ、女神まどかと対になる存在になったことは間違いない。
外見や雰囲気もバレエを思い浮かべる黒く露出度の高いドレス、人工的な意匠の禍々しい翼、嘲笑うかのような目つき、終始不敵な笑みを浮かべている…など、今までのほむら像からかけ離れたその姿は、展開と相まって多くの観客に衝撃を与えた。
劇中後半、ほむらはこれまでいた世界がほむら自らがソウルジェム内に作り出した結界であること、穢れが限界点に達したほむらのソウルジェムを隔離することによってインキュベーター達は魔女化現象と「円環の理」の観測・解明を目論んでいることを知る。一連の真相を知って激怒・絶望したほむらは、「円環の理」による救済をあえて拒絶して、自らの存在を犠牲にすることで「円環の理」を護ろうとする。しかし、まどか達「円環の理」勢や他の魔法少女達の助力によってインキュベーターの目論みは阻止されると同時に、ほむらはまどかとの再会を果たすことになる。
そしてほむらは「円環の理」に導かれ叛逆の物語・完!と、思いきや…
「この瞬間(とき)を待っていた…!」
ほむらは誰もが予想もしなかった行為に出た。手を差し伸べた女神まどかを妖艶な笑みを浮かべて捕まえ、「円環の理」の力の一部――まどかの人間としての記憶を強引に引き抜いてしまう。その瞬間、宇宙は再構築を始める。ほむらのソウルジェムは最早呪いと呼ぶ事すらおぞましいナニカで満たされ、妖しく光を放っていた。ほむらは自らソウルジェムを噛み砕き、同時に零れ落ちた「因果の糸」は禍々しい光を放つダークオーブへと再構築された。眼前で起こる新たな概念の誕生…希望でも絶望でもないその力を理解できないキュゥべえに対しほむらは記事冒頭の言葉を告げる。
『愛』――まどかの為に時を繰り返して積み重ねてきた思いをそう称し、「今では痛みすらも愛おしいわ…」と、どこぞのコズミックヤンデレ精霊じみた危ないセリフまで吐き出した。なおもキュゥべえは「君は一体何になろうとしているんだ!?」と問いかける。ほむらは答える。
「あの神にも等しい聖なるものを貶めて、蝕んでしまったんだもの。
そんな真似が出来る存在はもう悪魔とでも呼ぶしかないんじゃないかしら」
外見も上述した妖艶な姿形になり、「特定の個体への執着とその感情が生み出す力」を理解・制御できないと結論したキュゥべえは人類と太陽系から手を引く事を決め逃亡しようとする…が、彼らに利用価値を見出していたほむらはそれを許さなかった。
再び改変された世界。「円環の理」と魔獣は引き続き存在している。そして、「円環の理」から引き剥がされたまどかやさやか達が人間として暮らす、ある意味では理想の世界。しかし、ほむらが『魔なる者』として密かに暗躍する、「自分勝手にルールを破るのはよくない」と考えるまどかがふとした事で「円環の理」としての使命を思い出しかける、といった極めて不安定な世界でもあった。そんなまどかに対しほむらはこう告げる。
…思い返せば、劇中中盤でまどかの人間としての「友達や、家族と離れ離れになるのは耐えられないと思う」という本心を聞いたときから彼女はこの行為に至るつもりだったのだろう(まどかを守る為に魔女化して自決しようとしていたところをまどか達に助けられ、初めての共同作業とどめの一撃を一緒に放つ際にまどかの「独りぼっちにならないで」というセリフに対し、ほむらのセリフは「どんな姿に成り果てたとしても、きっと平気。あなたがそばにいてくれさえすれば」と、実は思いっきり噛み合ってないことからこの時点で既に決意を固めていたことがわかる)。それがまどかを貶め、いずれ敵対する運命だとわかった上で「人間としてのまどかを救うため」敢てダークヒーローの道を選んだという事だろうか。実際、かつての仲間達にわざわざ別れを告げるような描写や上記のセリフをまどかに告げた時に、今までの暁美ほむらを思わせる表情でかつてまどかから託された自らのリボンをまどかの髪に結びなおしているなど、一線を越えてもなお本質的な優しさは失っていないように見える。
「…やっぱり、貴女のほうが似合うわね」
ED後、まるで半分に切り取られたような半月の下で一人踊り、自ら高所から落ちるほむら。そしてボロ雑巾のようになったキュゥべえの瞳を映して物語は幕を閉じる。設定上続編は無理なく作れるだろうし、このままほむらの物語として幕を閉じても構わない。ある種の理想的な結末とも全員生存BADとも取れる。所謂、メリーバッドエンドという奴である。
この顛末を観終えた観客の中には、次のように叫びたくなった者もいたことだろう。「「「「わけがわからないよ」」」」と。
虚淵玄が考えていた元々の結末は「ほむらがまどかに連れられて行く(=ほむらが円環の理に導かれる)」というものであったが、「この後続くようにしたい」と考えていた監督側から中々OKが出なかった。悩んでいたところ、「新房さんが"いっそ対立関係になるのもありかもね"とポロッと発言し、その一言が突破口になった」とのことである。…つくづくドSな人達ではある。
虚淵によれば、劇場版のほむらは「迷いを捨てきる事が1つの成長」という解釈で書かれたという。 しかし、「偽街の子供達(ウソツキ、ミエ)にトマトを投げつけられる、ラストの落下シーン」などの ほむらの葛藤を示す場面は映像化の際に追加されたシーンであり、当初の脚本では存在しなかった。 虚淵はこの変更に対して、「より暁美ほむらとしてのキャラクターが強まった」と評している。 ハノカゲ氏の漫画版は当初の予定だった「葛藤が描かれていないほむら」をベースにしているようで、 劇場版をも上回る悪魔さとヤンデレッぷりをご披露なされている。興味があるならば購読をお勧めする。ちなみにそれはBD収録の1stテイク版音声における斎藤千和の演技にも共通しており、劇場上映版とは違った完成された悪魔ほむら像と遭遇することが出来るだろう
ちなみに、悪魔ほむらの設定資料は劇場版公開日にどこからともなく流出したものらしい。同資料において、腰の裏部分の部分が緑色になっているが、黒っぽい色で塗るように指定されている部分を見逃してそのまんま緑色で描いてしまっているイラストが相当数あったりする。
海外での通称は「Homucifer(ホムシファー)」。かつて神から最も愛された存在でありながら、神に叛逆した堕天使・悪魔の代表格ルシファー(Lucifer)との掛詞だろう。
ちなみに、ルシファーは「明星(金星)を語源に持つ暁の子。かつて『最も美しい天使』を自称した(もしくはそう呼ばれた)悪魔」というエピソードがある。 更に、人間が塵(土)から作られたのに対して、天使は火(焔-ほむら)から作られた存在という。 …なんという偶然。
本作における暁美ほむらを解説する上で、脚本家の虚淵玄はパンフレットで、『スター・ウォーズ』シリーズのダース・ベイダーを例に出している。エピソード1でかわいらしい純粋な子供だったアナキン・スカイウォーカーが、エピソード3では妻パドメに対する強すぎる「愛」から、フォースの暗黒面(The dark side of the force)に身を委ね、ダース・ベイダーに変貌する。アナキンの「愛」は一方的なものであり、解釈によっては「執着」と表現できるものであったことを考えれば、本作のほむらが語った「愛」と通じるものがあると言えよう。さしずめ「愛」の暗黒面(The dark side of the love)といったところである。
補足しておくと、ダース・ベイダーのダース(Darth)は「シスのダークロード(Dark Lord of the Sith)」の略で、私利私欲に基づく力の行使を肯定する者たちである。また、ダークロード(Dark Lord)は、宗教的には神(Lord)の対極に位置する存在とされ、悪魔、デーモン、邪神、神への叛逆者、などの意味を持つ。自らをして「摂理に逆らい、世界を蹂躙する存在」と評し、女神まどかを蝕んだ悪魔ほむらとは、共通する部分があると言えよう。
尚、虚淵玄がダース・ベイターを例えとして出しているソースは、「叛逆の物語」の劇場パンフレット内においてではあるが、それはあくまで「アナキンがエピソード3でダース・ベイダーになるという事を、観客が受け入れられるかどうか」についてであり、キャラクターそのものについて、『暁美ほむら=ダース・ベイダー』と言っているわけでは無いので要注意。
尚、作中ではほむらに関係する重要な場面においてトカゲのモチーフが使われている部分がある。
前作の総集編映画後編でもスタッフロールのほむらのシーンに王冠を被った蛇かトカゲのようなモチーフが描かれており、これらのモチーフが蛇の王であり悪魔でもあるバジリスクを意味する伏線であると論じる考察もある。
二次創作のガチレズっぷりから今回の所業を指してヤンレズと称されるほむらだが、 彼女の語る『愛』は単なる同性愛とは言い切れない節がある。 以下に、ほむらの『愛』と思われる要素を抽出してみる。
以上のように、同性愛(レズ)という要素だけでは到底括り切れない複雑な構成で出来ており、 これも「クレイジーサイコレズという言葉ですら表現できていない」と評される一因だろう。
一方で、「ユベル級の愛&ヤンデレ」「公式が変態ほむらさん」などという意見に対しては全く反論できない。
外伝ゲーム『マギアレコード』では、サービス開始1周年記念で早々にアルティメットまどかが実装されたことから、直ちに悪魔ほむらに関しても実装待望論がでていたものの、運営のじらしプレイに合う羽目に。2022年4月のマギレポイベントではマギレポ使用の「悪魔ほむらちゃん」が実装されたため、「そっちが先かい!」とユーザーは盛大にずっこけた。だが、2023年8月にサービス開始6周年かつ『叛逆の物語』公開10周年記念として、ようやく実装を果たすことになる。
性能面では周年キャラ恒例の比類なき性能を誇るキャラで、アルまどが「アルティメット」であるのと同様まんまの名称の「悪魔」タイプとなった。悪魔ほむらちゃんの時点でえげつないステータス・能力かつディスク構成がアクセル3枚ブラスト2枚の偏重型だったのだが、本家本元が実装されると能力面はよりえげつなく、さらにアクセル4枚ブラスト1枚という超ど偏重型と相成った。その上能力上方修正が図られるアルまどともども専用の追加精神強化マスが設定されている。
アルティメットまどかの時と異なり、今回は早くから正式名称である「悪魔ほむら」という呼称が知れ渡っていたが、その衝撃もあって、ファンの間では数々の異称が存在している模様。
上述の通り、「わけがわからないよ」と言いたくなるほど、予想だにしなかった衝撃の結末を迎えた新編であったが、円環の理(の一部)を改変したほむらの行動に対して、ファンからは賛否両論の声が飛び交っている。以下は、それらをまとめたものである。
悪魔ほむら派閥
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├─ 悪魔ほむらは正しいよ(ほむら肯定派)
| ├─ まどかやさやかもなぎさも蘇って完璧な終幕だよ(ハッピーエンド派)
| ├─ 本当はみんなと仲良くしたいのに関係を断ち切ったほむらは可哀想だよ(使い魔本音派)
| ├─ 初めてほむらが本音を見せたから許してあげようよ(ほむら同情派)
| ├─ まどかの願いはほむらの想いを無視してたよ(ほむらの願い尊重派)
| └─ 本編からしてこうなる事は自明だったよ(ほむら心情派)
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├─ QBが悪いんだよ(QB絶対悪派)
| ├─ あんな実験をしたから自業自得だよ(QBざまぁ派)
| ├─ あのまま円環されたら後々まどかはQBのものになってたよ(悪魔妥当派)
| ├─ QBに感情が生まれてまた逆襲してくるよ(続編待望派)
| └─ QBもいたぶられて喜んでるよ(ほむQ派)
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├─ 悪魔ほむらは間違ってるよ(ほむら否定派)
| ├─ 使い魔もいるしまどかは目覚めそうだし不安定な世界すぎるよ(バッドエンド派)
| ├─ ほむら自身が幸せになってないよ(まどか視点派)
| ├─ まどかの願いを否定してるよ(まどかの願い尊重派)
| ├─ エゴだよそれは(アムロ派)
| ├─ ほむらは気が狂ってるよ(ほむらヤンデレ派)
| └─ 唯一敵対しているさやかに倒して欲しいんだよ(さやほむ派)
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├─ 悪魔ほむらは可愛いよ(悪魔崇拝派)
| ├─ 全員救ったほむらは悪魔じゃなくて女神だよ(アルティメットほむら派)
| ├─ 記憶改竄とか凄いよ最強だよ(悪魔万能説派)
| ├─ 指先でつんつんされたいよ(QBちょっと替われ派)
| ├─ 悪魔ぶってるほむらちゃん可愛いよ(私って悪魔ね派)
| ├─ 毎回まどかを抱きしめたい口実を作りたかったんだよ(ほむまど派)
| └─ 悪魔になってもまどかの前ではヘタレなんだよ(まどほむ派)
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└─ 愛よ(愛なら仕方ないな派)
面白いのは、否定派の中には単にほむらを批判するだけではなく、主に「みずから悪魔に身を窶し、これまで以上に孤独になった」点を指して本編のほむらが救われてないと可哀想に思う意見なども見られることである(こうした意見のまとめについては、まどか教も参照)。しかし虚淵と新房監督にしてみれば、このような論争が起こることは想定内かもしれず、そうなると我々は彼らの思惑に踊らされているだけのかもしれない。
まぁ、最終的には一番下の結論になるんだけどね!
悪魔と化して改変後の世界でもお姉様キャラっぽくなっているなどメガほむとはまた違った変わり様、どことなくエロスな仕草に妖艶なおかつ病んでしまった瞳と眼力から「変態ほむらさんは変態を極めて悪魔へと変態した」「もうほむほむなんて呼べない、これからはほむら様だ」などと称するファンまで現れている。
各地で大混乱を巻き起こしたほむらの暴挙だが、視聴者の増加およびクールダウンが進んだ結果「まさにクレイジーサイコレズ」「…せめて、二次だけでも救われて欲しい」「あれ?よくよく考えたらあんまり変化していないような…」「さやほむ大勝利!」などの意見が固まり、まどかへのヤンデレ(&変態)描写だけではなく「まどかに振り回され、さやかには同情すらされるヘタレ悪魔」としてのネタも次々と増えつつある。
『叛逆の物語』公開開始から一月と経たずに、以下のテンプレが成立した。
掲示板
992 ななしのよっしん
2024/04/06(土) 16:18:19 ID: MCyZxEOVop
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993 ななしのよっしん
2024/05/31(金) 22:16:06 ID: zY3uDr8roQ
>>991
暁美ほむらを悪役に例えるなら、贈与者(偽のドナー)に近いと思うけど勿論アンチヒーロー像にも近いと思いますね。
全ての魔法少女を救い、少女達の感情で銀河を存続するインキュベーターの企みを無為に帰す為には自身が宇宙を維持する機構に成れば良いと釈迦如来の様に迷える少女を救うのが、まどかなら。
まどかを救う為にインキュベーターでは無く、まどか本人に同意拒否問わず取引を持ちかけた事で宇宙を維持する機構を半ば奪い自身が宇宙と人間のまどかを維持する機構に成った。結果的に救えない痛み、哀しみ、無力感、儚さ、キュウべえへの憎しみ、様々な人としての感情を経験したほむらは閻魔大王の立場に成ったと思う
キュウべえが宇宙を救う為に少女の感情を利用する行為は命の観点から見れば正義では有るが、まどかやほむらにとっては人間への悪でしかない。だから暁美ほむらは人間として宇宙や理不尽さを裁く裁定者にすら成ったと思う。
正義vs正義の戦いってどう決着を付けるのかな…
994 991
2024/10/06(日) 22:30:42 ID: MCyZxEOVop
> 全ての魔法少女を救い、少女達の感情で銀河を存続するインキュベーターの企みを無為に帰す為には自身が宇宙を維持する機構に成れば良いと釈迦如来の様に迷える少女を救うのが、まどかなら。
自分的には、まどかは勝手にルールを書き換えたくせに『欲望より秩序が大事』てかほざく偽善者でしかないと思うけどな。
更にいうと、自分の身近にいる連中を傷付けることに1ミリも罪悪感を抱かない筋金入りの嘘つきだし
なので本当は鹿目まどかも裁かないといけない対象であり、そんな彼女に依存してるほむらも断罪されないといけない。
身の蓋もないことをいうと、自分含めて誰も許すことが出来ない正しすぎるし潔癖症すぎる暁美ほむらの絶望(鹿目まどかにも原因があるのが罪深いよね)がまどマギの根幹テーマの一つだと思います。
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/13(月) 13:00
最終更新:2025/01/13(月) 13:00
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