感情論とは、結論を支える最大の論拠が自身の感情であるような議論のことである。
議論の場において、論理的整合性より大衆的感情が優越すると思い込んで語ること。主に「~だと思う」「~が好き(嫌い)」などを語尾に使うことが多い。
また、ネット界隈(特に、2chやニコニコ大百科の掲示板など)では理論的に振舞いつつも、他者からは自分から見て反対派である人間への論破が目的になってしまったり、単に自分の嫌いなジャンル・ネタを排除しようと言っているだけに見えてしまう。そのため、反対派から批判の的にされるだけでなく、同じ意見を持ちながらも、論理的に議論をしようとしている者から疎まれることも多い。
掲示板
552 ななしのよっしん
2025/06/10(火) 20:06:25 ID: 9ie34De/yq
この世のすべての意見は感情論であり、理論や論理というものはその感情のエクスキューズに過ぎない
だから「感情論だ!」は「俺はお前の意見に反対だ」以外は何も言っていないに等しい
553 ななしのよっしん
2025/06/11(水) 14:16:06 ID: qi5wT0jPjg
>>551
「お前の意見はおかしい、なぜならお前は気持ち悪いからだ!」=感情論
「お前の意見はおかしい、なぜなら『感情論とは、結論を支える最大の論拠が自身の感情であるような議論のことである。』という定義があるのに、勝手に『感情論=自らの感情のみを原動力に論ずる事。』という定義を基に話を進めているからだ!」=論理的
この場合「気持ち悪い=定義を変えて話を進めることへの違和感」といえる。違和感が出発点だが、定義のズレは客観的な問題点を示しているので論理的なんだよ。
554 ななしのよっしん
2025/06/21(土) 05:21:26 ID: Wgju99z57q
ネットの掲示板なので意外と識者や学者に関する論評や批評も含めて、感情論を捉えに行くのかな?と思いきや、そうでは無いんですね。(決して見下してる訳では無くて、レスをする際に研究をしているのかなと純粋に思った次第)
私個人の認識だと、人間の感情論と論理性が何故切り分ける必要が有ったのかは、古代ギリシャや中世ヨーロッパのルネサンス、更にはポストモダンに由来するのかな?と思う。
それらも出来る範囲で概要を読んだけど、論理性も感情論も、行動原理や正当性に限界が有り更に認知も道徳の不協和や知識のズレが有る以上、人々は感情も理性も同じ見解を得られないのが当たり前と捉えた。
なので絶えず研究や集合知と社会性を踏まえて更なる感情と理性の現代哲学を作る事も必要と感じた(概ねカント氏が言っていた様に思うが)
人間は神や神話を認識する事で共通知や集合体を強く意識し共通の行動が取れていた、しかし、神が直接人間に思考に影響を与えているか疑問が出たり、人間の思考を統一化する為に感情と理性の研究を始めたと感じた。
感情と理性の研究成果は、まずアダムスミスの道徳感情論については人間は性善説や道徳に基づき、自分が認識した物事を自分や第三者の評価から裁定して感情と理性を切り分けて行動出来るとした、けどこの評価は人間の善性を信じ過ぎてると思う。
一方デカルトやパルメニデスの様な古代で提唱した理性万能主義も怪しい所、人間は元から理性を認識し、疑い、様々な体系や思考を論理的に説明する事が出来て、論理こそが真理を探求できるとしてるけど、これだと人間は初めから論理と感情を認識し、更に論理的に基づき行動するって言う感情と積み重ねを無視した主張に成る。
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最終更新:2025/07/11(金) 12:00
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