戦車不要論単語

センシャフヨウロン

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戦車不要論とは、読んで字のごとく戦車なんてイラネ!」、というである。

概要

戦車不要論が初めて唱えられたのは、数々の新兵器が投入されたWW1が終結しWW2が始まるまでのいわゆる戦間期の頃であり、登場したての初期の戦車に対してのもので実に約三四半世紀も前のことである。
この頃の戦車不要論はその後、かの有名なドイツの軍人「ハインツ・グーリアン」が考案した機甲戦理論WW2で展開された機甲戦を中核とした電撃戦などによって粉砕された。

しかし、WW2以降は科学の発展に伴う化学エネルギーを用いた成形炸薬弾(HEAT弾)」対戦車ミサイルの発明によって、それまでの戦車の圧倒的な地位が崩れたことにより戦車不要論が再燃することになる。

が、これまた防御を飛躍的に向上させる複合装甲、強かつ高い精度を備えた、かつての視界の悪さをあざ笑うかのようなセンサー群の搭載、強エンジンに担保された高い機動と、これらを兼ね備えた第3世代戦車の登場によって論破されることとなる。

だが、東西冷戦が終結しテロとの戦いが始まると、近年新たな「戦車不要論」が唱えられるようになった。

ここではWW2後の戦車不要論について扱う。

なお、「戦車不要論」にはこれといって明確な論文があるというわけではなく、一種の流行ともいえる。

時代の変遷と不要論

第一次世界大戦時に生まれた戦車は発展を遂げ、第二次世界大戦時にはその装甲、火力、機動バランスからまさしく機甲部隊として君臨していた。航空機からの攻撃などにはどうしても脆弱だったものの、陸上兵器であれば同じく戦車を持ち出すか、対戦車兵器でなければなかなか撃破できない戦車の重要性は高まり、あっという間に各兵器になることとなった。

かしここに時代の変化と技術の進歩がその存在意義にを落とし始めた。

冷戦後のこの2点の変化により次のようなことを考える人々が出てきた。

※他に見かけましたら追記願います。

これが戦車不要論である。

そしてどうなった

あっちこっち国家でこのようなはあったようで、戦車ではなく装甲車として海外派遣したり戦車の調達数を減らそうとしたりで実際にその動きは見られた。たとえばカナダでは一時は戦車を決めたほどである。しかし、この戦車不要論はあっさりとひっくり返ることになる。

以下に、とそれに対する回答を記載していく。

主張「戦車なんてトロくさい!」

このの時点で議論以前の問題である。

軍事知識に触れた事のい人のイメージとして履帯を鳴らせて進む戦車が想像されるようで、人間が走って追いつける程度の速度しか出せないものだと勘違いされる事が多い。が、現用の戦車最低でも「時速50km/h以上」で走り「自身のを受けても耐える防御」を持つ40tをえる重量物の塊である。

主張「航空優勢あれば歩兵の支援も十分!戦車なんて的でしかない!」

航空機についてだが、戦場則として航空機では全ての陸上駆逐することはできないのである。これはもはや、航空機が発展しまくった現代でも変わらない。陸上というのは結構偽装が簡単で、各種偵察装備をもってしてもその全てを捕捉することは難しい。現にイラク戦争では世界チート航空を持つアメリカ軍と愉快な仲間たちが、イラク空軍を亡きものにした後に行った猛撃を持ってしてもイラク軍機甲部隊全滅わず(全地上部隊中の撃破率30%。遮蔽物の砂漠だらけのイラクですらこれである)、止めを刺したのはアメリカ陸軍であった。また、ユーゴスラビア内戦においては、NATO軍は巧妙な隠蔽に騙され、爆で撃破した物のどは囮であったとされる。

また、航空機はその性質に由来する問題点もある。まずご存知の通り航空機は飛び続けねばならない。それゆえに味方地上部隊の上に常にり付いているにはかなりの制約が付く。つまり地上部隊が援護がほしいときにその場にいない、あるいはすぐにやってこないのは普通である。また速度がある程度出ていないといけない点、積載量に限界があるという点からも同一標に対する継続的な攻撃という面では意外に難がある。また、入念に準備された対地などにはどんな最新の航空機もめっぽう弱い

いわゆる攻撃ヘリ航空機の中でも特に対戦車戦闘に用いられる機会の多い種類であろう。攻撃ヘリ垂直離着陸が可でその場にとどまり続けることができる。また燃料補給の面でも航空機としては場所を選ばない。実際攻撃ヘリの存在はかなり重視され、地上戦における攻撃ヘリ論も叫ばれたこともあったのだが、最近はその傾向はれてきたと言っていい。なぜならヘリコプターは固定機ほど回避く、被弾時やトラブルの際に脆弱というその性質上、航空機の中でも特に対兵器に対し脆いのである。さらに航空機には違いないのでなどにもその行動は大きくを受ける。また前述の通り、敵地上戦の全てを掃討、制圧することは攻撃ヘリであっても難しい。事実イラクでは防組織を壊滅させたはずの都市攻撃ヘリを30機以上投入したところ、被撃墜1機、残り29機は全機被弾・大破し修理送りになったのに対し、陸戦部隊はこの3時間で制圧したと言う。

つまり、どんなに武装が進化しても航空機欠の陸上兵器キラーとはならないし、歩兵に常に随伴する支援火力、あるいは拠点を制圧する兵とはなり得ないのである。

主張「装甲車に対戦車ミサイルや戦車砲、これで戦車の代わりできるだろ!?」

次に装甲車などで戦車代替する、という話だが正直これも微妙極まりない。なぜならどうしても装甲車だけじゃ戦としては防御火力などが足らんのである。日本90式戦車を例に取れば、即時発射可な数は18発、別の格納箇所とあわせれば40発。その分と同じ火力ミサイルで搭載できるのか、という事である。

装甲車に積んだ対戦車ミサイルだけで戦車を狩って進撃するにも精々1両あたり2発程度しか積めない上に高額なミサイルではあまりにも効率が悪い。第三世代戦車の標準弾であるAPFSDSが高くとも50万円前後、それに対して戦車を撃破しうミサイル100万円以上する。

ちなみにミサイル全般に言えることだが、基本的に待ちせや奇襲以外で正面から堂々とミサイル戦車とやりあうのは自殺行為である。ミサイルというのは最低射程が存在し、また命中までには照準→発射→加速&誘導→命中というプロセスが必要なのだが、戦車の場合は照準→発射→命中となるのである。つまり加速のプロセスは必要なく最初っから1500m/sの弾がぶっ飛んでくるのである。そして後述の防御の関係上ミサイルは当たっても確実に戦車を撃破できるとは限らない。そのため発射の間を捉えられた時点でミサイル側は凄まじく不利となる。そして、撃ったなら撃たれる訳で、どうしても装甲車では戦車並みの装甲は期待できず、戦車とガチンコでやり合ったらフルボッコ確定である。

また、仮に対戦車戦闘がなくても榴弾などでり出し攻撃が可戦車と異なり、装甲車では支援のために敵歩兵の潜んでいるかも知れない場所にミサイルガンガンぶち込むわけにも行かない。そして機関だけではいろいろ物足りないことも多々ある。特に戦においては建築物をバスバス貫通する機関よりも爆発する榴弾を使える戦車の方が結果的に付随被害が減ることが知られている。

つまり装甲車戦車に対抗できる火力を持てるが、戦車の役割を全て肩代わりすることはできないのである。

掲示板でも議論があったが、輪では接地面積の関係から性を担保できる重量限界が存在する。一定以上のトン数に来ると途端に同重量の戦車よりも走破性が低下していく。日本機動戦闘車のような戦車を備えた装輪装甲車はそもそも担う役が異なる。戦車ネックである展開カバーする存在であり、火力については申し分ない準ながら、防御は装輪である以上、戦車に及ぶものではない。

主張「戦車はIEDや対戦車地雷、RPGで撃破できる(される)から無駄だ!」

ここでふと疑問を感じる人もいるだろう。火力面では納得できても、戦車だってIEDRPGで撃破されてるジャン、と。
もちろんそれはその通りである。これは玉砕上等なゲリラ相手や歩兵を伴わない運用をしている例であったりするのも理由としてあるが、そうでない状況で撃破された例があるのも事実である。そうでなくても戦車の価値が衰えないのはやはりその走攻守のバランス故だろう。

戦車歩兵でも撃破できる。しかしそれには多大なリスクが伴うのである。

まず戦車小銃機関銃での撃破はほぼ不可能であるしIEDならやたらめったら多量の爆薬を必要とする。この副次的効果として戦車向けにIEDの炸の量が多くなると見つけやすくなる上に全体の数が減るため結果として全軍の被害が減る。

携帯対戦車兵器については、そもそもそういった兵器は重くかさばるし数も限られるので大きな負担になる。使うにしてもその射程や射が確保できる場所まで敵のをかいくぐって移動しなければならない。仮に見つかるか失敗しようものならその場所ごと吹っ飛ばされかねない。しかも1、2発喰らったところでピンピンしているor行動不能になっても乗員は事で後日修理の後に復帰なんて事もザラである。このような対戦車戦のリスク、精的にプレッシャーを与えるは、後述の回答にある通り、戦車が随伴した部隊被害数が減少したという記録にも現れている。

こと防御についてはやはり戦車というものは圧倒的で、中には計6発の対戦車ミサイルRPGを喰らっても元気戦闘継続していたT-72もいる。第3世代以降の戦車にいたっては正面は貫通不可能、側面でも怪しい、後面ならどうにかという有様である。

戦車地雷はって? 防御戦には有効なのは明ではある。それだけ地雷というカテゴリ兵器は有用で厄介なのだ。ただ、対戦車地雷事前準備が必要な10kg以上の重量物の上、先進国の軍隊は地雷除去手段が豊富な事をお忘れなく戦車が出てくるからと言って、軍隊は戦車だけで攻め上がって来る訳ではない。

主張「歩兵に肉薄されれば弱い!歩兵でも撃破できる!」

よくある誤解に「戦車歩兵ロックできないから一方的に狩られる」というものがあるが、世代の古い戦車はともかく先進国戦車はどいつもこいつも赤外線による探、そしてスコープによる高倍率ズームが可であるので実は歩兵に対する索敵も高い

事実不幸な例ではあるがイラク戦争終盤のバグダットにおいてホテルから大の撮カメラで離れた場所の米軍機甲部隊を撮していたジャーナリストが、対戦車ミサイルを構えたイラク兵に誤認されM1エイブラムス叩き込まれたことがあり(携行ミサイルの類と大の撮カメラは前から見ると二つで速さめられる戦場ではまず区別できない)、その索敵の高さを裏付けている。

また、戦車はそもそもの威が高く、めただけで体がっ二つという噂の某対物ライフル某ガトリング砲よりも酷い事になるのはに見えている。つまり、正確にロックせずとも至近弾さえ与えられれば容易に敵歩兵化できる。そのため敵に与える心理的効果は計り知れない。

事実イラク戦争後のデータによると作戦行動戦車を加えた部隊の死傷者が極端に低いとされている。また、ある戦地に戦車を持ち込んだところゲリラビビッて攻撃してこなくなったという話がある。つまり、戦車はその場にいるだけで色々な意味で敵に負担を強いるのである。

なお、たしかに歩兵によるゲリラ戦を仕掛ければ戦車部隊に対してある程度被害を出すこともできる。しかしそのような戦法は上記のように常に不利な状況での戦いとなり、あまりにもハイリスクローリターンであるので正規軍ではまずできない戦法である。まさしく兵士の命の価値がスッカラカンテロリストや民兵の専売特許といってよいだろう。彼らによる戦果は山ほどの犠牲の上にある。

主張「日本は島国だから必要ない!」

これに関しては日本特有の事情もあり、日本での戦車配備に関しては冷戦終了とロシアとの関係善から現在まで色々と情勢が変化してきているため、日本土に必要と考えられる戦車数については議論は尽きない。

ただ、600→400→300と削減され、一部では部隊の体を成し得ない数へ近づきつつはあるが、戦車には至らず、最新鋭の10式の調達と共に機動戦闘車開発と配備計画が立てられている。同じくであるイギリスについては削減の方向だが、周辺情勢が較的安定している事や国家財政の立て直しが急務という事情があり、また全なんてのは一言も言っていない(というかチャレンジャー2が400台とより多い)

話を日本に戻そう。まず、戦いの原則として攻める側が攻める機会を決められる圧倒的有利さから、航空優勢と上での作戦を緊密に行っても絶対防御には程遠い。実際問題として、日本の長大な海岸線はある程度の犠牲を許容して手当たり次第戦を突入しての(原発などの)重要施設の襲撃・破壊を標とされた場合、全てを際で阻止することは困難である。

かしこの時、日本側に戦車が居れば「居るだけで負担を強いる」は敵側の「事前の準備に戦車に対向する必要性」、すなわち「面倒くささ」を強要できる。だが、戦車が出てこないなら敵側はかさばる対戦車火器を運搬しなくていいし、上陸後の戦闘厄介戦車が出てこない分、いっそ戦車などの機甲車両を輸送せず攻め上がって良いのだからそれだけ手間が減る。

以上のように、陸上自衛隊が出てくるような場面ではすでに航空優勢が敵に取られているときであり戦車が不要、と言う意見に対しては全ての敵兵を上陸前くのは難しいこと、航空優勢をとってもそれだけでは地上の制圧は不可能なこと、上と航空全滅させてからの上陸作戦は非現実であり航空攻撃と上陸作戦の同時進行の可性が高く、さらには上陸作戦単体で行われる可性すらある。

日本へは航空優勢と制権を得てから上陸作戦が開始される(だろう)から航空機護衛艦による作戦で全て阻止する(=だから戦車なんて要らない)、なんてのはフィクションファンタジー世界くらいである。

加えてで全て漸減できると考える人々は、が「専守防衛」を憲法是としていることを、往々にして自覚の有は別として忘却している。怪しければ沈めてしまえ、撃墜しろなどは論外である。加えて洋上を航行する船舶の捕捉は想像以上に困難で、世界第二位のP-3Cマンモスカスタマーの日本でも不審事案で散々苦労している。

機動戦闘車開発は、配備数の問題からどうしても逃れられない戦車の展開カバーする性を持つものの、これまで述べた通り全な戦車代替とは成り得ない。そして第一に限れば事に上陸することも十分有り得る敵性部隊に対して…

10式戦車 (゚∀゚)<ごめん、ちょっと遅れるから抑えといて!
機動戦闘車 (´・ω・`)<承知した。 …歓迎しよう、盛大にな
上陸部隊 ヽ(`Д´)ノ<後から戦車も来るじゃないですかやだー!

という展開速度に優れた足と準戦車級の火力によるプレッシャーが、期待されている一つではなかろうか。あくまで機動戦闘車の運用が最もうまく行った場合に限る話ではあるが。

相手が作戦を検討し、その結果、無理ゲーまたは利益しと諦めて貰う事が日本における戦車の役割の一つとお考え頂きたい。

以上を踏まえての、現用戦車の役割

現在、これらの事実が再認識されたため戦車を大急ぎで前線に送り込んだり、全を撤回して追加調達をしたりいう例が相次いでいる。

このように、これからも戦車は常に歩兵に寄り添い、時には歩兵を守る物理的あるいは心理的な楯となり、時には歩兵の要請に応じて即撃を叩き込む矛となるのである。

戦車が担う役割を背負える新発想の兵器・戦術ができれば別だが、今現在の所、何かの方法で倒せるからと言って、その何かでは戦車の持つ役割を代替できないし、戦車が持ついくつもの要素を一部肩代わりする兵科を用意するのが関の山である事から、戦車の有用性に疑問符が付くのはまだまださそうである。現状において戦車全に不要になる状況があるとすれば多大なコストを掛けて対戦車態勢が整えられた状況のことであり、そのコストを相手側に強いるというだけでも戦車は十分な価値を有するのだ。

もっとも、頑強に戦車不要論を掲げる人はいるのだが。そういう人は現実の動向をちゃんと見ましょう。

保有する戦車数の削減と戦車の全イコールとするのは、かなり現実から乖離した考え方と言えるため、戦車の削減について議論する際は、相手が単なる不要論者や会話に値しない勉強不足から来る短絡的思考なのか、それともを傾けるに値する相手か、よく見極めてから会話継続の判断をされる事を提案したい。

なお、これだけは理解していただきたいことがある。この記事はあたかも戦車を万兵器として持ち上げているように見えるだろうがそうではない。いくら戦車であっても歩兵を伴わずに突っ込めば某イスラエル軍の様に携帯対戦車ミサイルフルボッコ確定であるし、対兵装を随伴させなければ全滅はしなくとも航空機による大損は免れない。

戦車に限らず兵器というのは他の兵器兵科と組合わせて運用してこそ最大の効果を発揮する。すなわち兵器にはそれぞれの役割がある、ということである。ぜひともその点を誤解しないでいただきたい。
諸兵科連合

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不幸な話だが、今も続いてしまっているシリア内戦リアルタイムでの重要な戦訓を伝えている。第二世戦車(しかも輸出用のモンキーモデル)ですら、これほどの脅威となっている。

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