探査機「のぞみ」 単語

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タンサキノゾミ

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探査機「のぞみ」とは、日本初の火星機である。

概要

「第18号科学衛星」。開発名「PLANET-B」。

1998年7月4日午前3時26分(日本時間)、内之浦宇宙空間観測所からM-Vロケット3号機により打ち上げられた。所属・運用は旧・文部省宇宙科学研究所(現・宇宙航空研究開発機構/宇宙科学研究所JAXA/ISAS)。ISASの探シリーズである「PLANET」計画の2番機(B)であり、日本の探機としては4機地球体探機となる。

ISASの探機の特徴である「体上大気層・電離層の観測重視義」が本機でも貫かれ、火星の5つのカテゴリー(磁場、大気、電離層のプラズマ、撮像、ダスト)15項を観測することを的としていた。その為の観測機器として、カメラのほか、磁場探機、電子エネルギー分析器など14種類の機器を搭載している。(小の探機においてこの搭載量は他に類を見ない。)

衛星の追跡には臼田観測所の他、NASAの深宇宙追跡ネットワークも利用する。

運用にあたり、日本初の惑星機であること、探機に搭載する名前を広く募集する「あなたの名前火星へ」キャンペーン(立案者の一人に的泰宣対外協室長(当時))によって民一人一人に身近な探機となったこと、小中学校教科書に取り上げられるなどにより広く民の期待を集めた。その沢山の期待を込めた想いを表した称として『のぞみ』が選ばれることになった。

寸法:縦1.6m 横1.6m 高さ0.58m
   ワイヤーアンテナの対線長52m
   太陽ネル全長6.22m
重量:540kg
搭載観測機器:
火星撮像カメラMIC)/ 磁場計測器(MGF)/ 電子温度測定機(PET)/ 電子エネルギー分析器(ESA)/ イオンエネルギー分析器(ISA)/ 電子及びイオン分析器(EIS)/ 極端紫外線スキャナー(XUV)/ 紫外線撮像分器(UVS)/ プラズマ波動並びにサウンダー観測装置(PWS)/ 低周波プラズマ波動計測器(LFA)/ イオン質量分析器(IMI)/ ダスト計測器(MDC)/ 中性ガス質量分析器(NMS)/熱的プラズマ分析器(TPA

壮絶な旅の始まり

1998年7月4日に、鹿児島県鹿児島宇宙空間観測所より打ち上げられ、8月24日12月8日に2度のスイングバイを、12月20日には近地点約1,000kmにて地球パワースイングバイを行い、一路火星した。

これらスイングバイは自制御によって行われたのだか、その結果を検証したところ、予定の速度より約77しか加速が得られていなかったことが判明。原因は2液エンジンの燃料の逆流を防止するバルブの開放不良によるものであった。(ちなみにこの故障原因となった部品は皮なことにNASA火星機「マーズオブサーバー」の失敗を受けて取り付けられた安全策であった。)その為急きょ必要な速度をスラスター噴射により確保したが、今度は推進剤を使い過ぎたため、予定の観測をするための火星周回軌へのブレーキ用推進剤が不足することが判明した。

この時のちに『軌道の魔術師』と呼ばれる川口淳一郎教授をはじめとする軌設計チームは懸命に火星へ至る軌を模索、その末あって残った推進剤でも火星周回軌に乗れる新しい軌計画が考案された。それは、『地球火星の間の間を3周させ、さらに2度の地球スイングバイによって2004年の始め、打ち上げから4年あまり後に火星に届ける』と言う、過去に例のい軌であった。

こうして、このときも想像し得なかった壮絶な火星へのは始まった―――。

さらなる困難

この予定外の長期間飛行の最中の2002年4月26日3時05分(日本時間)、通信機最低限の電波しか発信しないビーコンモードから機体情報を発信するテレメトリーモードに切り替わらないことが判明。さらにそれに先立つ25日18時00分(日本時間)に予定されていた姿勢制御も行われていないと思われることがわかった。すぐに不具合調委員長中谷一郎教授をはじめとする衛星システムグループが原因調を開始する。

そんな中テレメトリーグループにより編み出されたのが、後に『1ビット通信』と呼ばれる機体状況確認法である。4月29日、Xバンド帯のビーコン発信のみの送信と地球からのコマンド受付、データハンドリングユニットDHU、簡単に言うと機材間のデータ変換・収集・判断を行う頭的部品。有人機における人間に当たる部品)は正常に作動する事を確認した運用チームは、のぞみの自ビーコン発信ON/OFFを組み合わせて、機体の状況を地球からの質問にYES/NOと形で答えさせることに成功する。
わば「のぞみの生霊を相手にした『はい/いいえ』しかないコックリさん」が1ビット通信である。

そうして1問答30分の頼りない情報交換を気の遠くなるほど続けた結果、何らかの原因で共通系電と呼ばれる電機系でショートが発生、安全対策の電ブレーカーが作動してしまい、テレメトリーモードへの変更の為のリレー不動作や熱制御回路の不動作などいくつかの機器が作動できない状態にあることが判明した。ISASはこれらの異常事態を「十数年に一度に起こる強太陽フレアの直撃によって電系統の一部がショート、保護回路が動作し一部システムに対する電投入が不可能となった」と報じた。(ただし後に4月21日~22日に発生した太陽フレア到達後も正常に動いていた期間があることから、太陽フレアが直接的な故障の原因ではないとされている。)

とりあえず通信途絶は回避されたものの、今度は熱制御回路の不動作によって推進剤を温めるヒーターが作動しなくなっっており推進剤が凍結、軌変換の噴射ができなくなっていた。この問題は、探査機「のぞみ」が地球に接近し、温度が上昇すれば機体温度も上昇し自然解決するだろうと運用チームは判断、放置。結果は2002年8月下旬に予想通り機体温度が上昇し推進剤が融けた事により回避できた。

以上のように一難一難を柔軟な発想で解決してゆき2002年12月21日2003年6月19日の2回にわたる地球スイングバイを成功させ、2003年12月14日火星から894kmの地点を通過する軌に乗せることが出来た。恐るべきはISASの運用…。

だが、この時点でも電系統は未だ回復出来ずにいた。

旅の途中

火星に至る旅の途中のぞみはただ放浪していたわけではない。いろんな予定外の科学観測を機材チェックも兼ねて行っている。さすが貧乏ISAS、抜けない。

そうして火星での本番に備えつつも、運命の日は刻一刻と迫ってきていた。

運命を握る「一筋」

未だ復旧しない電復活をかけてある方法が計画される。

それは問題の回路に電を入れ続けることでショート箇所を焼き切るというとんでもない復旧案だった。そして、高速で電をONにするプログラムが作成され、2003年7月5日のぞみへ送信、この日からのぞみの機内で一縷ののぞみをかけた賭けともいえる挑戦が始まる。

7月9日にはのぞみからの電波が途切れたが、これは電をONにした際に発生するノイズによるXBバンド発信機の誤動作(オンオフコマンドが同時に発せられてしまう)であり、2002年5月15日の機体チェックの時にすでに発症し、その解決方法も7,500ほど電オンすることで復活するであろうことが確認されていた。しかし、通信は復旧せず、これ以降のぞみからの電波は途絶えたままとなる。

復旧に残された時間は、火星周回軌への軌変更の準備時間を見積もって5ヶ後の12月9日宇宙空間研究連絡会議COSPAR)による際的な取り決めにより、殺菌処理されていない火星機は、火星衝突の可性を打ち上げ後20年間1以下に抑えなくてはならず、のぞみは非殺菌、苦労して得られた今飛んでいる軌は衝突確率1の壁をどうしてもわずかに満たす事が出来ない軌だった。12月9日までにのぞみが自身のを取り戻さなかった時、地球からスラスターを噴射して火星への接近距離を少し離す処置―――火星調の断念が決定することになる。

ISASからのこの報告を受けて、読売新聞が誤認し「のぞみ火星へ衝突!」といった誤報を掲載したり、それをに受けて自分の名前のぞみに搭載した人から怒りのメールが届いたりもしたが、運用スタッフは不眠不休でその後もDHUの誤作動を防ぐ搭載メモリの書き換えなど死を尽くして通信回復に努めた。タイムリミットまでに行われた電ONコマンドの発信は1億2000万回に及んだ。


そして2003年12月9日のぞみからの電波は届かなかった。回路を繋ぐ一筋は切れず、想いを繋ぐ一筋は再び結ばれる事はなく、運命を決める一筋のボーダーをのぞみは越えてしまった。

12月9日20時45分 のぞみに対し、衝突回避のための弱いスラスタ―噴射を行うコマンドを38分にわたり送信。
12月14日 火星約1,000kmの最近地点を通過。
12月16日 火星重力圏を離脱、太陽を周る的地の永遠に続ける軌に乗る。 
12月31日 のぞみのいる方向へ電波発信を停止させるプログラムを送信。

のぞみの探機としてのミッションは終了した。

のぞみが遺したもの

壮絶な路の果て、的を果たす事が出来なかったのぞみだが、後に続くものに残していったものは計り知れない。

本来の火星を対とする科学調を行うことはできなかったが、旅の途中地球から遠く離れた地点で行った各種調は非常に重なものとなった。

工学・探機運用の面では、得難い財産を数多く得た。例えば・・・
ミッション解析、軌の設計・運用技術、軌を精密に決定する技術、自化技術、距離の通信を実現するための通信機器技術と運用技術、搭載機器を極度に軽量化する技術、地上支援のために必要なソフトウェアの大幅な人工知能化など。また、その後の探機設計に「絶対に生き残り続ける探機を」という設計思想を生み、設計技師・製作技術者・運用スタッフといった人を育てた。

これらは、のぞみ火星へ向かう最中に打ち上げられた小惑星探査機「はやぶさ」くも実される事になり、また、同じ「PLANET」シリーズの後継機となる金星探査機「あかつき」PLANET-C)にも、ノウハウが生かされている。

―――のぞみの遺志は、こうして後に続くものに確実に受け継がれているのだ。


のぞみは自制御により火星を通り抜ける際に火星を撮像カメラにより撮したものと思われる。

この時の画像を今の々は知る方法はない。27万の人々から託された想いも宛先に届く事はない。
のぞみは「伝える」事は出来なかったが、多くのものを「残す」事は出来た。

届かぬ写真手紙を抱いたまま、のぞみは残り続ける。惑星として。そして記憶と経験と後に続く衛星たちの内に―――

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