教育勅語 単語

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教育勅語とは、明治23年(1890年)~昭和23年(1948年)に教育の基本方針とされていた明治天皇の勅[1]である。正式名称は「教育ニ関スル勅」。一部の私立学校では現在も使われている。

本項では『教育勅語』の他に、『教育勅語』の公式解説書である『勅義』、一部で『教育勅語』の要約であるとして流布されている『十二の徳』についても解説する。

概要

教育勅語とは、1890年(明治23年)に明治天皇が発した[2]臣民道徳規範、教育方針のこと。学校儀式の際には臣民の規範・道徳として奉読され、普段は奉安殿[3]に収められていた。

本文を見ればわかるように、書いてあることは「臣民たるもの、兄弟夫婦は仲良くし、よく勉強し、勤勉に働き、その身を天皇陛下のためにげなさい」ってことで、孔子孟子などが説く儒教倫理ほぼそのままである。儒教中国で生まれた思想ではあるが1500年以上も前から日本でも道徳の基礎とされており、日本の伝統的価値観儒教に根差したものであることは疑いがない。また勅というだけあって「天皇陛下からの御言葉である」という要素は内容以上に重要なポイントである。

戦後教育基本法が制定されたこともあり、忠君愛国教育方針と民主主義民主権の理念は相入れないということで軍人勅諭などとともに失効に関する決議が行われ、昭和23年(1948年)をもって失効した。

しかし失効後も一部では「その精は間違っていなかった」とか「道徳教育に取り入れるべきである」とか「復活させるべきである」といった意見も根強く、一部の私立学校では現在も使われていたりする。当然、教育勅語を復活させることで道徳が向上するかどうかは疑問である。だって教育勅語があった戦前だって不良も勉強しないバカも大勢いたし、それどころか今とべりゃかに治安も悪い時代だった。っていうかどんな教育をしても一定数不良バカも出てくるのである。もしそれらが発生しない教育法があるなら暴力団も三流大学全滅である。

以下に原文があるので読んで考えてみてほしい。

原文・訳

原文

朕󠄁惟フニカ皇祖皇宗ヲ肇󠄁ムルコ遠󠄁ニ德ヲルコト深厚ナリ臣民ク忠ニク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲセルノ精ニシ育ノ淵ニ存ス

臣民ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ友相信シ恭己レヲ持シ博󠄁衆ニ及󠄁ホシヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智ヲ啓󠄁シ德器󠄁ヲ成就シ進󠄁テ󠄁益󠄁ヲメ世務ヲ開キ常ニヲ重シ法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレ義勇󠄁󠄁ニ奉シ以テ窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶󠄂スヘシ是ノ如キハリ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖󠄁先ノ遺󠄁スルニ足ラン

斯ノ󠄁ハカ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテラス朕󠄁爾臣民ニ拳󠄁々󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ

明治十三十月三十日
御名御璽

訳はいくつかあるが、まずは文部省が昭和15年(1940年)に出したいわゆる公式現代仮名遣いに変えて紹介
「朕」が主語であり当時の「権在君」の様子がうかがえる。こちらは要するに全ては天皇のためにというところに帰結する。

(文部省訳;
 朕が思うに、が御祖先の方々がをお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし中のすべての者が皆心を一にして代々美をつくりあげて来た。これは柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。

 臣民は、に孝行をつくし兄弟姉妹仲よくし、夫婦互にび合い、友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事おこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気ふるい一身をげて皇室国家の為につくせ。かくして勅のまにまに地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、らの祖先ののこした美をはっきりあらわすことになる。

 ここに示したは、実にが御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。このは古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又はもとより外でとり用いても正しいである。朕は臣民と一緒にこのを大切に守って、皆このを体得実践することを切に望む。

次は戦後現代社会に合致させ「権在民」を意識させた独自解釈版

(現代訳;
 私が思うに、私の先祖である昔のや昔の天皇が建したことは偉大な事であり、さらに心から深く徳を行った。私の臣民は忠もあり孝もあり、心を一つにして世を良くしてきたことは、の在り方の優れた点であり、教育である。

 また、実にあなたたち臣民お父さんお母さんを大切にし、兄弟友人夫婦仲良く、友人は信頼し合い、へりくだって慎み深く謙虚であり、分け隔てなく博愛し、よく勉強して知識知を向上させ才と徳とを磨き、益のため働き世をよくし常に法律を守り、ひとたび国難があれば勇敢に戦い、永遠に続く皇室に仕えなさい。このことは私一人のための忠義ある臣民であるというだけでなく、先祖が残してくれた良い潮を広く知らしめることにもなるだろう。

 この道徳は実に私の先祖の遺訓であり、子孫臣民守るべきものであり、今も昔も変わらず、また外でも同じことであり普遍的な事である。私とあなたたち臣民がこれを守り、これを実践することを強く願う。 
明治23年10月30日 署名と判子

勅語衍義

教育勅語が布された翌年、文部省から検定を受けた教育勅語の公式解説書として、井上次郎の『勅義』が師範学校中学校教科用書として刊行された。義は勅テキストを逐解説し、その思想を詳述している。(以下、読みやすくするために一部は新字体、読点に直している。太字は編集)

例えば「夫婦相和シ」では、妻は夫の意思に反することなく従し、夫が妻を守り外で仕事をして妻は事をする、という長制と良妻賢が理想とされている。

タルモノハ、夫ニ柔順ニシテ、(みだり)ニ其意志ニ(もと)ザルコトヲ務ムベ

夫ガ理非ヲ言ハザル限リハ、成ルベク之レニ従シテ()ク貞節ヲ守リ、(みだり)ニ逆フ所ナク〜」

「夫ハ外ニアリテ業務ヲ営ミ、婦ハ内ニ居テ事ヲ(つかさ)リ〜」

義勇ニ奉シ」では、男性は喜んで徴兵に応じ、国家の為に自ら進んで身を犠牲にして死ぬことに喜びを見出すことが奨励されている。

徴兵ノ発ハバ、必ズ欣然(喜んで)之レニ応ズベク、決シテ逃竄シテ事ヲ避クベキニアラズ。如何ナル人モ、邦ノ男子トシテハ、進ンデ身ヲ犠牲ニ供シ、以テ国家ノ福ヲ企ルノ念慮ナカルベカラズ。(けだ)シ世ニ愉快ナルコト多キモ、正ノ男子ニアリテハ、国家ノ為メニ死スルヨリ愉快ナルコトナカルベキナリ

「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶スベシ」では、臣民天皇の命することがめられている。

如何ナル人モ、臣民トシテ、君ノ意ニ対シ、之レニ背戻(はいれい)ルコトナカルベキハ、弁ヲ()タズシテ明ナリ

十二の徳目

しばしば『教育勅語』の要約と称して『十二の徳』なるものが紹介されていることがある。
しかし、この『十二の徳』は『教育勅語』の奨励する基本道徳とは異なる内容のものである。『教育勅語』の理念については大正2年(1913年)に文部省より「『ニ孝ニ』より『義勇ニ奉シ』に至るまで、全ては天皇に尽くすべしとの御趣意[4]」との公式見解要約が示されている。『十二の徳』には、この肝心の基本理念が反映されていない。

『教育勅語』は1890年に表され1948年に失効したが、その期間『十二の徳』なるものが存在したことはなかった。『十二の徳』が登場するのは教育勅語の失効から四半世紀後、1970年代に入ってのことである。作成者や命名者について詳しいことは分かっていないが、一説には「道徳協会[5]」創設者・佐々木盛雄の作ではないかとも言われている。

この出所不明のを『教育勅語』の要約とすることについては、本物の『教育勅語』を尊重する人たちからは「大帝の言葉を騙るとは不敬極まりない」と批判されている。また、例えば「義勇󠄁󠄁ニ奉シ以テ窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶󠄂スベシ」「国家ノ為メニ死スルヨリ愉快ナルコトナカルベキ」が「心を尽くしましょう」という訳になっていることなどについては、専門らから「誤訳と曲の典」とも摘されている。

下に、『十二の徳』として流布しているものを紹介するが、正式版や公式版があるわけではないので出回っているものには若干のブレがあるかもしれない。なにはともあれ、教育勅語の本義から外れた独自解釈だらけの『十二の徳』をもとに教育勅語についてる意義はいだろう。

  • 孝行  :に孝養をつくしましょう
  • 友愛  :兄弟姉妹は仲良くしましょう
  • 夫婦の和:夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
  • 友の信:友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
  • 謙遜  :自分の言動をつつしみましょう
  •   :広く全ての人にの手をさしのべましょう
  • 修学習業:勉学に励み職業を身につけましょう
  • 啓発:知識を養い才を伸ばしましょう
  • 徳器成就:人格の向上につとめましょう
  • 益世務:広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
  • 遵法  :法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
  • 義勇  :正しい勇気をもってのため心を尽くしましょう

関連項目

脚注

  1. *とは、天皇陛下的な意思表示のこと。
  2. *実際に教育勅語を作成したのは井上毅、元田永ら。
  3. *奉安殿とは、天皇皇后陛下の御と教育勅語を収めたないしは建物のこと。
  4. *「勅に『以て天壌無窮ノ皇運ヲ扶スベシ』と宣へるは『ニ孝ニ』より『義勇ニ奉シ』に至るまでのく行ひて地と共に窮なき皇位の御盛運を助け奉るべしとの御趣意なり」(第二期定修身教科書『高等小学修身書 巻二』)
  5. *道徳協会とは、佐々木盛雄が自著を出版する際に用いた名称。
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