斎藤(齋藤)・斉藤(齊藤)(さいとう)とは、日本の苗字、地名である。
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藤原北家の流れを汲むとされる苗字。藤原利仁の子、叙用が伊勢神宮の斎宮頭となったことを受けて「斎宮頭の藤原」ということで斎藤を称したのが始まり。伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女を斎宮といい、斎宮を世話する役所が斎宮寮。斎宮頭はそのトップであった。
藤原利仁は越前国を本拠としていたため、斎藤姓はまず北陸一帯に広まった。加賀、能登、越後などの地域でそれぞれの斎藤氏が生まれたが、これは後に、越前斎藤氏が疋田斎藤氏と河合斎藤氏に分かれるなど、更なる分流を生む元ともなった。
その様にして幾流かに分れた斎藤氏だったが、その中でも著名なものとして美濃斎藤氏を挙げることができる。
室町時代の美濃国に、河合斎藤氏の後裔とする斎藤親頼が、目代[1] となって土着。当時の美濃国は土岐氏の支配下にあったが、後にその守護代となり、さらには土岐氏の家督争いに乗じて美濃国の実権を掌握した。しかも「まむし」とあだ名された傑物、斎藤道三がその名跡を継いで当主となると、土岐氏を追放して名実ともに美濃国を支配するに至り、戦国大名としても名を馳せるまでになった。しかしながら弘治年間(1556年)に息子、義龍によって道三が討ち取られ、その義龍も若くして亡くなるなどその支配は安定せず、最後には織田信長に滅ぼされてしまった。
越中国にも斎藤氏があった。河合斎藤氏後裔で美濃斎藤氏と同族とする。越中婦負郡に勢力を持っており、のち徳川家康に仕えた。
武蔵国の斎藤氏も河合斎藤氏の後裔。平安時代後期に武蔵国幡羅郡長井荘(現埼玉県熊谷市付近)に領地を得て移住した。斎藤別当実盛が源平合戦で活躍したことが知られる。
現在、斎藤姓は東日本に非常に多く分布している。人口に対する斎藤姓の割合が一番多いのは山形県。山形県・福島県では斎藤姓が県内で4番目に多い苗字となっている。その他、栃木県では3番目、群馬県・埼玉県で5番目、青森県・秋田県・千葉県で6番目、茨城県・神奈川県でそれぞれ7番目・8番目、宮城県・東京都で10番目に多い苗字となっている。
新潟県・長野県・静岡県から西では後述する「斉藤」姓の方が多くなっているが、福井県でのみ斎藤姓の方が多く、福井県では8番目に多い苗字となっている。これは越前国が斎藤氏の本拠だったため、敢えて表記を変えなかったためだと言われている。
「斎」と「斉」は全く別の漢字であるが、現代では斉藤は斎藤の略字的な扱いをされることが多い。斉藤は何らかの理由で斉藤を簡略化したものであるが分布が大きく異なっており、違う苗字と見たほうが適当である。また、上記の欄のものに加え、これらの名字に使われる「斉」の異体字には31通りあるとされている。
簡略化した理由については、「単に省略したもの」・「誤字であるもの」・「本家筋・分家筋の区別をつけるために異字を用いたもの」・「斎を用いるものが祭祀に関係しており、斉を用いるものがその他のもの」などの説があるが、実際のところは不詳。
新潟県・長野県・静岡県を境目に斎藤姓より斉藤姓の方が多くなる。苗字の東西の境目は富山県と新潟県の境、三重県内、岐阜県内とされるが、「さいとう」姓の境目はなぜか東にずれている。新潟県で6番目に多い苗字。また、島根県でも多く、益田市、隠岐郡隠岐の島町などで最多姓となっている。島根県内の苗字軒数ランキングでベスト20入り。
北海道は東北・北陸からの居住者が多く、斎藤も斉藤も混住している。斎藤と斉藤がともにベスト20に入っているのは開拓地である北海道らしくある。
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最終更新:2024/12/05(木) 09:00
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