斑尾高原(まだらおこうげん / Madarao MOUNTAIN RESORT)とは、長野県に位置するリゾート地である。
長野県飯山市と新潟県妙高市の境に位置する斑尾山(1382m)の山麓地帯を中心とする高原リゾート。斑尾山頂をのぞむ外輪の高地にあたる標高約1000mに位置する。斑尾山北側斜面の飯山市側(東側)を占め、妙高市側(西側)にはタングラム斑尾東急リゾートが隣接する。
信越地方有数の豪雪地に位置し冬季にはスキーリゾートとしてにぎわう一方、一帯は風光に富み、夏季に涼しいことから自然ゆたかな避暑地としても知られる。
斑尾山頂と飯山市街(千曲川)との間の高地であることから、西側には斑尾山の雄姿、東側には飯山市街と千曲川を望む絶好の位置にある。
北信五岳に数えられる斑尾山という豪雪地帯に位置することから、冬季は3m以上の積雪を誇る。いっぽう夏季は8月でも平均気温が21℃程度に留まり、清涼で過ごしやすい避暑地となる。一大スキーリゾートとしてだけでなくサマーアクティビティも充実しており、グリーンシーズンにはトレッキングやアウトドアスポーツを楽しむことができる。
長野県と新潟県にまたがる県境の一帯に位置するため住所地名は錯綜している(長野県側は飯山市大字飯山、新潟県側は妙高市大字樽本丙にあたり、さらに複数の字に分割される。字斑尾は新潟県側にある)が、通常は一括して「長野県飯山市斑尾高原」の地名が使用される。「斑尾高原」は正式な住所地名としては存在しないにもかかわらず、郵便も「長野県飯山市斑尾高原」に専用の郵便番号が指定されている。
1967年、飯山市と地元住民による「斑尾高原開発促進期成同盟」が結成され、長野県企業局により斑尾山麓の開発が決定。実際の開発には藤田観光が携わり、1972年に斑尾高原ホテルおよび斑尾高原スキー場が開業する。1975年の斑尾高原観光協会設立を経て1976年には藤田観光から斑尾高原開発が分離独立し、スキーブームに乗るかたちで多くのホテルやペンション、スキー場、娯楽施設からなる夏冬両用の一大リゾート地を築き上げた。
1982年からは夏季にニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾が開催されるようになる。ニューポート・ジャズ・フェスティバルを招致したもので、以後1995-97年を除いて2003年までのあいだ、国内外のジャズ・バンドを集めた毎年夏季の恒例行事となり、斑尾の名物として多くのバンドと観客が集った。
1998年には斑尾高原温泉を開湯させたが、長引く不況とスキーブームの終焉により2005年に斑尾高原開発が民事再生法の適用を申請。斑尾高原ホテルと斑尾高原スキー場の営業権はダヴィンチ・アドバイザーズに移った。2012年にはホテルおよびスキー場の運営会社アビラがリゾート再生を手がけるマックアースの傘下に入り、リゾート地としての再生が進められている。
長野県道・新潟県道97号飯山斑尾新井線が中心部を通っている。
主な交通アクセスは飯山駅よりバスで35分。飯山駅までは北陸新幹線で東京から110分、金沢から70分程度。
自動車の場合は上信越自動車道で豊田飯山ICないし妙高高原ICよりそれぞれ25分。駐車場は斑尾高原ホテルを中心に収容700台、日帰り専用1000台を誇る。
北陸新幹線開業前の飯山駅は斑尾側(山側)に改札が無く、千曲川側の駅舎より大回りして踏切を渡ってから斑尾に向かう必要があったが、新幹線開業に伴う駅移転時に山側に「斑尾口」が設置されアクセスが容易になった。
県道で飯山市側から登り、ビジターセンター「山の家」から斑尾高原ホテルにかけての一帯が斑尾高原の中心地にあたる。中心地の周囲はペンション街となっており、一帯に点在する宿泊施設はホテル、ペンション等を合わせて総数70軒以上におよぶ。
斑尾高原の中心地。一等高い場所を占め、本館に架かる山小屋風の大きな三角屋根は斑尾高原の象徴である。
斑尾の中心地としてふさわしい格式をそなえた古風なリゾートホテルであり、秋篠宮文仁親王同妃、常陸宮正仁親王同妃、高円宮憲仁親王、寛仁親王など、多数の皇族の宿泊地ともなった。ロビー階正面、ティーラウンジの大窓は西側を向き、夕陽とともに斑尾山とスキー場のゲレンデを一望できる絶景の窓として知られる。
斑尾高原スキー場の入り口はホテルのすぐ側にあるため、ゲレンデとの行き来はきわめて容易。建物のゲレンデ横にはゲレンデレストラン「白樺」を併設している。ホテル敷地内には高アルカリ温泉である斑尾高原温泉が引かれており、露天風呂併設の温泉大浴場から入湯可能。
ちなみに、広い入口階段と並行するように長野県と新潟県の県境が横切っており、階段に埋め込まれた県境を表示するプレートは隠れた人気スポット。ちょうど新潟県が長野側に食い込んでいるため、ホテルは長野県側に向いているにもかかわらず入口階段の外側が新潟県という不思議スポットでもある。
斑尾高原ホテルの別館ともいうべき立ち位置のホテル。三角屋根の斑尾高原ホテルに対し、リゾートマンション的な形のホテルとなっている。こちらも斑尾高原スキー場に直結する。
斑尾高原ホテルとの間にシャトルバスが運行されることもあり、「斑尾高原ホテル←→モンエール斑尾 シャトルバス」あるいは「斑尾高原ホテル」や「モンエール斑尾」といった金文字のロゴを入れた白いボックスカーが頻繁に往復する姿は、一時期の斑尾高原の名物であった。
斑尾最大のスキー場。31コース、リフト9本(2018/2019シーズン)を有する。スノーボード滑走可。グリーンシーズンには様々なアクティビティの会場ともなる。
幾度となくフリースタイルスキーの全日本選手権やワールドカップが開催されたモーグルコースなど風光明媚な多くのスキーコースからなり、斑尾高原を一望のもとに眺めおろせるだけでなく、山頂部からは時に日本海まで望むことができる。ゲレンデはパウダースノーとツリーランが大きな魅力で、多数の非圧雪コースを擁しながらも、山腹以下には初中級者向けコースも充実している。初版編集者のフェイバリットコースはトラバース→クリスタル中下部。隣接するタングラムスキーサーカスとは二箇所で連絡しており、共通券で双方のリフトに乗る事ができる。
斑尾山北東斜面に位置するが、前述の通り斑尾高原が斑尾山に臨む山麓の高地に位置することから、ゲレンデ入り口からリフトに乗ることなくすぐに滑ることが出来るのが特徴。いったんゲレンデ中心部となる盆地まで滑降してから改めて各リフトでゲレンデ各地へと向かう形となる。このため、中心部とゲレンデ入り口を結ぶ第1リフトは3線(かつては4線)を有する大幹線となっている。また、ゲレンデ正面のジャイアント、チャンピオン、クリスタルの三大コースへの連絡を担う第2クワッドおよびスーパークワッドはとてもカッコいい自動循環式リフトである。
リフトのチケット売り場はゲレンデ入口と中心部の二箇所。ゲレンデレストランは入り口横の「白樺」のほか、中心部周辺に「レストラン ハイジ」「レストラン チロル」「レストラン バンフ」の三大レストランが配され、「ハイジ」の隣にはレストラン「トワサンク」が出店する。「チロル」は夏季にはジャズ・フェスの野外ステージ会場としても活用されている。
斑尾高原ホテルから、入り組んだ坂道を少し下った先にある絵本美術館。
斑尾高原の飯山市側入口に位置するビジターセンター。斑尾高原観光協会事務局が位置する。
山小屋風の建築で、シーズンを問わずアクティビティの案内・観光情報の提供などが行われているほか、夏にはスポーツクライミング(インドアクライミング)やそば打ちの体験もできる。各種ツアーの集合地点となるのもここ。
グリーンシーズンの斑尾最大の特徴ともいえるのが、斑尾高原中心部を拠点に総延長50kmにもおよぶ斑尾トレッキングトレイルである。斑尾山(1382m)のほか、袴岳(1135m)、毛無山(1022m)、袴湿原、沼の原湿原、希望湖、大池、赤池といった各地を回ることができる。
のぞみこ。
かつては沼池といういまいち美しくない名前で呼ばれていた、原生林に囲まれ澄んだ水をたたえる小さい湖。
湖畔でボートの貸し出しを行っており、フィッシングを楽しむことができる。2.5kmの延長を持つ湖の周回路はトレッキングトレイルの一部ともなっている。
1982年から2003年までほぼ毎年開催されたニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾は、夏の斑尾最大の祭典であった。21世紀初頭に斑尾高原を訪れた方のなかにはVodafoneの赤いうちわをもらった覚えのある方もいるかもしれないが、それは当時このジャズ・フェスティバルのスポンサーについていたからである。
斑尾高原ホテルの随所には、開催当時の名残を残す物品や装飾が残されている。ホテルエントランス正面のラウンジは今でこそ単に「ティーラウンジ」と称されているが、かつて「ニューポート」を名乗っていた。
このニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾は2003年をもって終了したが、地元住民と全国のジャズファンの後援を受けて2007年から斑尾ジャズ(ふるさとのジャズ交流祭 in 斑尾)の開催が開始。社会人バンドの集まる野外ジャズ・フェスティバルとして以降毎年開催されている。
かの唱歌「故郷」にある「兎追いしかの山」とは斑尾山のことという説がある(作詞者の高野辰之は隣の中野市出身)ほど、斑尾とうさぎの縁は深い。冬のゲレンデでは、リフト下の非圧雪地帯などにしばしばウサギの足跡を見ることができる。
斑尾高原内のマンホールも、通常の飯山市のものと異なりウサギの姿が描かれている。また、斑尾高原開発が民事再生法を適用する以前は、斑尾高原全体で意匠化したウサギのロゴマークを使用していた。
1974年以来、夏季の花火大会、冬季の火祭りが恒例となっている。
花火はゲレンデ中心部という近場かつ低地から打ち上げられるため、ゲレンデ入り口側から見るとさながら真下から見上げているようなド迫力の花火となる。冬季の火祭りでは、どんど焼きやスキー場のゲレンデを利用したたいまつ滑走なども行われる。
これらとは別に、斑尾高原からは例年8月に飯山市街で行われる千曲川河畔納涼花火大会も観ることができる。遠くではあるが、標高差のためなかば見下ろすような形となり、これはこれでなかなかに乙なものである。
ジャムやワインの製造、ワイナリーやレストランの営業を行っている「サンクゼール」の源流は、創業者が1975年、黎明期の斑尾高原でペンション経営を始めたことに始まる。彼は夫人とともにペンションを経営しつつジャム作りをはじめ、1982年には斑尾高原農場(株)を設立して本格的にジャム製造に専念することとしたのである。
やがて本拠地は三水村(現・飯綱町)へと移ることとなるが、その販売店はしだいに日本中に広がり、2005年に現名に改名するまで「斑尾高原農場」の社名が使用されていた。斑尾高原にも一時期店舗が置かれていた。
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