斯波義廉(?~?)とは、室町時代に活躍した武将である。
渋川義鏡と山名摂津守娘の間に生まれた息子。越前、尾張、遠江守護。治部大輔。左兵衛督。
15世紀中ごろ、斯波氏は嫡流である武衛家が断絶し、傍流の大野斯波氏から新たな当主・斯波義敏を迎えていた。しかし、義敏は被官の甲斐常治らと対立し、ついには息子・斯波義良に家督を譲らされ没落することとなった。
一方義廉は、室町幕府の御一家渋川氏の出身であり、堀越公方の重臣に任じられていた渋川義鏡の息子であった。しかし、絶賛享徳の乱勃発中の関東に対し、軍事力の持たない足利政知、渋川義鏡らは苦戦を強いられる。そのために足利義政らに目をつけられたのが、斯波氏であった。斯波義良に代わって斯波義廉が養子として武衛家を継ぎ、堀越公方府の軍事力として取り込まれようとしたのである。
しかし、肝心の渋川義鏡が堀越公方府で失脚。義廉は長年家督についていたものの、大崎教兼らをはじめとする奥州諸将との交渉力を持つ、斯波義敏の復権が足利義政らによって企てられる。これに対して、斯波義廉は畠山義就、また岳父である山名宗全らと結びつき、文正の政変を起こす。こうして義廉は守護、管領として復権したのである。
こうして応仁の乱が勃発すると斯波義廉は西軍として活動することとなる。ところが東軍の工作により、自身の最大の支持勢力であった朝倉孝景が寝返ってしまう。さらに、終戦後も尾張で引き続き斯波義敏と対立するが、敗れて歴史の表舞台から消えることとなる。その後義廉の子孫は朝倉氏に名目上の国主として擁立されたともいわれている。
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最終更新:2025/04/01(火) 02:00
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