「於陵子仲」(おりょうしちゅう ? ~ ?)とは、中国の戦国時代末期の斉の国に仕えた佞臣である。
燕の名将「楽毅」率いる連合軍によりあと二城にまで追い詰められたものの、「田単」の知略と幸運により滅亡を免れた斉の国は、新たに王となった襄王「田法章」と賢明な妃「君王后」により、復興を続けていた。
しかし襄王そして君王后が亡くなり、田建が新たな斉王となると、田建の寵愛を受けていた於陵子仲は厚遇されたが、こいつは佞臣と名指しで批判されるような輩だったらしい。
趙の国が秦の攻撃を受けた後に、恵文王の妃であった恵文后に使者を使わした田建に対して、恵文后は田建の政治が良くないと訴え、斉の処士の「鐘離子」と「葉陽子」を用い、役立たずの佞臣である於陵子仲を殺してしまうべきだと忠告した。
於陵子仲がその後どうなったかについて歴史は語らないが、斉の国は、宰相の后勝が秦の賄賂攻撃により陥落して、田建に秦に服従するように説得され、戦わずして秦に降伏して秦の天下統一を達成させ、自らは幽閉されて餓死すると言う結末を迎えた。
斉の人々は、
お前が、松柏生い茂る共に押し込められたのも、これみなすべて客のせい。
と斉滅亡の理由は田建が間違った登用をした為だと歌った。
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最終更新:2024/04/19(金) 22:00
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