日光一文字(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に登場する刀剣男士である。
北条家から黒田家へ贈られた日光一文字とは、俺の事。おまけは吾妻鏡と陣貝。要は、宝物ということである
(刀帳)
福岡一文字派の作とされている太刀。
一文字一家の長、山鳥毛の左腕。与えられた命は完遂する。日光権現の宝刀であったことが名の由来。
北条家、黒田家などを伝わり「知」と「武」を備えた風体に歴代のそれが現れる。
2020年8月10日~16日の期間限定鍛刀にて入手が可能。レシピはAll500、鍛刀時間は3時間20分。レアリティは4。今後も定期的に入手機会がある為、何処まで追うかは資材や財布と相談する必要がある。
初出のチラ見せは2020年8月5日。紋や襟の意匠で速攻で日光一文字と特定され、8月7日に情報解禁となった。
声を担当する置鮎龍太郎は2017年の段階で
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と発言しており、おおよそ3年越しで出演が叶った事になる。
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濃い藍色の長髪に細フレームの眼鏡が特徴的な、クールな雰囲気の男性。CVもあいまって某テニス部主将を想起する人も多く、情報解禁で併せてトレンド入りする珍事が例のごとく発生した。
戦装束は刀派共通の白を基調としつつ、黒田家ゆかりの藤を思わせる紺色の差し色が特徴。加えて襟にあしらわれた葡萄柄は、後述する「葡萄文蒔絵刀箱」に由来すると思われる。
内番衣装は刀派共通の白を基調としたジャージだが、ラフな印象がある一文字一家にあってかっちり着込んでおり、よく見ると所縁ある刀剣男士のデザインにも似ている。
紋は刀派共通の「一」の一文字に、黒田氏の家紋「藤巴」を合わせた意匠。
全体を通して硬質な印象の台詞が多く、審神者に対しても「愛想がないと?」「深入りしようとしても、得るものはないぞ」と告げている。とは言え忠誠心は強く、また生真面目な性格が台詞の端々から伺える。
隊長として出陣すると「主命とあらば即出陣!日光一文字、参る!」と勇ましく、開戦時には「恨みはないが主命である、滅びろ!」と宣言。……ん?と思った審神者、貴方は正しい。所縁あるへし切長谷部(刀剣乱舞)と非常によく似た台詞が散見される。
クールな印象の強い日光だが、怪我を負うと不敵な笑みを浮かべ、真剣必殺では目をぎらつかせて哄笑しつつ「良い!実に良い!」と、893めいた好戦的な本性を露わにする。一騎打ちでも「ここで負けては男が廃る!」と宣言し、誉れを取れば「お望みのままに」とあくまで謙虚。
同じ一文字一家の山鳥毛(刀剣乱舞)、南泉一文字(刀剣乱舞)とは回想が発生。山鳥毛を「お頭」と呼び恭しく応じる日光に対し、山鳥毛は「我が翼」と呼び、全幅の信頼を置いている事が伺える。また山鳥毛にとって日光は「左腕」であり、「いずれ、翼も揃う」ことも示唆された。新たなる一文字一家の予感。
他方、南泉のことは「どら猫」と親しげに呼び(ちょっと険のある呼び方だが)、南泉は日光のことを「日光の兄貴」と呼んで慌てふためく。そんな南泉に対しては「今まで通りにしていればいい」「とにかく自由に暴れていろ」と見守る立場を取っており(慌てふためく南泉に「(見苦しければ)丸焼きにしてやろうか?」と釘はさしているが)、一文字一家の関係性が伺われる回想となった。893の若頭に見えるのは禁句。
また黒田家所縁の日本号(刀剣乱舞)とも回想が発生。日光からすると黒田家の刀剣はひとしく「弟分」であり、「お前たちがどう思おうが弟分として扱い、そして血を分けた弟の如く守る」と言っている。弟分扱いされた日本号は「冗談」と言いつつも、同じことをへし切長谷部に言ったと聞かされて爆笑、「そりゃ傑作だ!その場に居合わせなかったのが残念だ」と言っている。刀剣の遍歴からしたら確かに日光一文字の方が古い刀だが、へし切長谷部の方が黒田家の刀としての来歴が長いので「主第一!でも黒田家も大切だ!!」な長谷部からしたら・・・色々気になる下りである。
祖は古備前の「菊一文字」こと則宗とされ、備前国(現在の岡山県)福岡の発祥である事からこの名で呼ばれる。「一文字」と呼ぶ場合はこの福岡一文字か、鎌倉時代末期に起こった吉岡一文字のどちらかになる。
後鳥羽院が定めた御番鍛冶にも一文字の刀工は多く、先に上げた則宗の他、12人中7名にのぼる。一文字は比較的無銘の作が多く、作風によって見極められる事がほとんど。
共通して華やかな作風が特徴。名刀が数多く伝来し、国宝・重文指定を受けているものも多い。
著名作には「道誉一文字」(御物)、上杉家の「姫鶴一文字」(重要文化財)などが知られている。
号の由来は「日光権現」こと日光二荒山神社に奉納されていた事から。所縁ある実装済刀剣としては祢々切丸がいる。
具体的な時期は不明ながら、後北条氏の祖・北条早雲がこれを申し受けて所持し、北条氏の家宝として伝来。所縁ある実装済刀剣としては江雪左文字、山姥切長義、山姥切国広がいる。
その後時は下り、天正18年(1590年)、豊臣秀吉が小田原征伐を行う。小田原城はよく持ちこたえたが、他の支城が次々と落とされた事、支援する勢力が失われた為に勝ち目はなくなった。
一方で黒田如水は北条氏直に対して和平交渉を続け、遂に小田原城は開城。北条氏政・北条氏照は切腹のちに梟首となったが、徳川家康の娘婿でもある氏直は助命され、高野山への蟄居という形で落着した。
この時氏直は如水の労をねぎらい、礼として陣貝(戦で使う法螺貝の笛)「北条白貝」や歴史書「吾妻鏡」(北条本と呼ばれる底本)を始めとした貴重な文物、そして日光一文字を贈った。なお異説では氏直から秀吉、その後如水に渡ったともされる。刀帳や顕現時の台詞で言及されているのはこれらの重宝である。
またこの時日光一文字をおさめた刀箱「葡萄文蒔絵刀箱」も現存しており、こちらも国宝指定を受けている。
以後は黒田家に伝来。筑前福岡藩2代藩主・黒田忠之(如水の孫)が、埋忠明寿に日光一文字の拵を注文した書状が現存している。
それによると黒田家の家宝となっていたへし切長谷部と寸分たがわぬ拵を所望しており、共に家宝として重要視されていた事が伺える。残念ながらこの拵は現存しておらず、よく知られる現在の長谷部の拵は安宅切とお揃いになっている。
昭和8年(1933年)に旧国宝、昭和27年(1952年)に国宝指定を受ける。その後黒田家14代当主・黒田長礼氏が昭和53年(1978年)に死去すると、生前の遺志に基づいて黒田家に伝来する文物は福岡市に寄贈され、その中に日光一文字もあった。
現在は福岡市博物館所蔵。年に1度の割合で展示されており、例年1月に公開されるへし切長谷部と前後してお目見えする事が多い。
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最終更新:2024/04/19(金) 21:00
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