日本レコード大賞 単語

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日本レコード大賞とは、日本音楽賞である。
1970年代1980年代には非常に権威のある音楽賞として知られていた。

概要

アメリカグラミー賞をヒントに作られたといわれ、その後のアジアでの音楽賞のさきがけとなった。

略称は「レコ大」(れこたい)。

歴史

1959年の第1回よりTBSテレビラジオで中継が行われている(番組タイトルとしては「輝く!日本レコード大賞」)。しかし当初は年末の間に放送されており、それほど注されていなかった。
第1回大賞を受賞した「びら」を歌った水原は受賞の報を聞いてもレコード大賞って何だ?」と逆に聞き直したり、初期に受賞した美空ひばり会場のステージに立った時あまりの観客の少なさに驚いたというエピソードが残っている。

このお寒い状況が一変するのが1969年の第11回。この年から大晦日19時21時というゴールデンタイムでの放送となり、番組視聴率も10%台から30.9%へと一気に3倍も上がった。これにより広く知られる音楽賞となった。
1970年代から1980年代にかけての黄金期は「NHK紅白歌合戦」と並び称される大晦日民的音楽番組であり、共存共栄の関係が築かれた。レコ大に出演したアーティストが番組終了後急いで紅白の会場に向かう風景が報じられるようになり、レコ大と紅白を掛け持ちすることは当時のアーティストにとって売れっ子のであった。

レコ大の番組視聴率は1977年の第19回で頂点を迎え、歴代最高である50.8記録した(この時の大賞は沢田研二勝手にしやがれ」)。

このレコ大の成功に刺を受け、TBS以外の民放テレビキー局ラジオキー局の共催で「日本歌謡大賞」を始め、TBS以外の民放各局も独自に音楽賞を自前で始めるなど、音楽賞が一気に増加した。

1980年代中盤よりかつての威が薄れ始め、視聴率の低下が始まる。これを打破するために、TBSは発表会会場を長年行ってきた帝国劇場から日本武道館に移動して大々的なショーアップを行うようになるが、第28回(1986年)には視聴率が30%を割り込む。

さらに、1990年代以降は賞レースに左右されない活動を望むアーティストが増えたことにより「日本歌謡大賞」などの競合する音楽賞の継続困難になり相次いで終了していく[1]
特に「レコ大」においては、それまで共存共栄の関係を維持していた「NHK紅白歌合戦」が1989年より開始時間を繰り上げて放送を拡大、全に裏番組となってしまう。これにより出演アーティストのバッティング問題が発生し、やむなくレコ大を蹴って紅白出演を選択する出演者が続発することになる。番組視聴率も第31回(1989年)に20%を大きく割り込む14.0%記録衝撃が走った。
この状況の変化に対し、催者側は大賞を「ポップス・ロック部門」と「歌謡曲演歌部門」に分割する革を行ったものの不評に終わり数年で止。さらに、CDの売り上げよりもアーティストの所属事務所関係や都合で大賞等の各賞が決まる出来レース摘され、週刊誌で大賞の買収があったと報じられている。今ではレコ大の権威は全に地に堕ち、「欲しい人にあげる賞」とまで揶揄されるに至っている[2]
ただし最優秀新人賞は、新人アイドルや新人演歌歌手にとってはそこそこの箔付けや新人のモチベーション維持の役には立つため、未だに標にされる場合がある。

2006年(第48回)に長年開催された大晦日からその前日の12月30日へ開催日が移動。これにより大晦日時代には裏番組となっていた「NHK紅白歌合戦」(NHK)や「年忘れにっぽんの歌」(テレビ東京)とのバッティングがくなり、掛け持ち出演する出演者のスケジュール緩和が図られ、視聴者離れにも止めがかかった。

大晦日時代末期に視聴率が10.0%(第47回・2005年)まで低下したが、過去の受賞者をゲスト出演させるなどのテコ入れの結果、現在では13~18%程度まで回復しているが、後述の通り受賞作品についてはヒット作が受賞していないとのもあり、権威や人気面での復活には程遠い状況。

さらに、2021年時点では過去10年、ソニー系列若しくはエイベックス系列以外に所属したミュージシャンでの大賞受賞者は現れておらず、受賞者の偏重は深刻化している。

大賞受賞曲

事前(毎年11月中旬頃)に発表される優秀作品賞を受賞した10曲から選ばれる。
第1回は水原びら」。2020年(第62回)は『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』の主題歌「炎」LiSAが受賞し、アニソンとしては1990年の「おどるポンポコリン」以来の受賞となった。なお買収疑惑報道があった2016年(第58回)は三代目J Soul Brothersが三年連続受賞…と思いきや西野カナが受賞している。一体何があったんだろう(棒)
近年では第50・51・52・55回をEXILEが、53・54回ではAKB48が、59・60回では乃木坂46が受賞している。これじゃEXILEファミリー秋元ファミリーの持ち回り賞じゃないか!!!…というに最近はちょっと配慮するようになったんだろうか

かつては同じ歌手は2回以上受賞できないという不文があったようだが、浜崎あゆみが3年連続受賞して打ち破った。またもう一つ、カバー曲は受賞できないという不文があり[3]2018年社会を巻き起こしたDA PUMPU.S.A.」も受賞を逃している。

最優秀歌唱賞

第11回から制定[4]。初代受賞曲は森進一「港町ブルース」。2020年福田こうへいが受賞。
演歌歌謡曲が強い。ただし近年の受賞曲は単純に売り上げを受賞基準としている訳でもなく、かと言って「優秀な歌唱」の基準がどこらへんなのかもはっきりせず、どうにも受賞基準が分かりづらく、影が薄い賞になっている。何しろ近藤真彦でも受賞できる賞なので歌唱技術が基準ではないのは確かなようだ

最優秀新人賞

これも第11回から制定[5]。初代受賞曲はピーターのあいだに」。2020年真田ナオキが受賞した。
やねんこいつ(ら)」というネットを中心に上がるのはもはや毎年の定番。まぁそりゃあ新人って言うくらいだからねぇ・・・
初期のうちから新人アイドル演歌歌手標にされることが多かった。80年代は当時のジャニーズグループがほぼ独占していた(元たのきんトリオの三人、シブがき隊、少年隊、男闘呼組)が、1989年忍者を最後にジャニーズは新人賞レースには一切参加しなくなった。
その一方90年代末から現在まで、モーニング娘。1998年受賞)をはじめとするハロー!プロジェクト女性アイドルグループが異様な強さを見せる賞であり、これまで新人賞にノミネートされた8グループ中6グループが最優秀新人賞を受賞している[6]
ちなみに、近年の受賞者はなぜか大半が受賞以後活動上のトラブルに巻き込まれている。アイドルグループBEYOOOOONDS以外全部何らかの理由でメンバー脱退が発生していたり、西内まりやのように一時ドラマなどで活躍したもののトラブル然と消えてしまったりと散々である。家入レオのように順調に活動している方がむしろ少ないような気がする。
なお2010年に受賞したスマイレージは受賞から4年後の2014年12月グループ名を「アンジュルム」に名しているが、これは最優秀新人賞受賞者では今のところ一のケースである。

その他の各賞

その他さまざまな賞があり、ピコ太郎が受賞した「特別話題賞」、ジャニー喜多川が亡くなった2019年に受賞した「特別音楽文化賞」、2020年BTSが受賞した「特別音楽賞」なんてのが用意される年もある。要は催者のさじ加減

週刊文春による買収疑惑報道

2016年11月3日号の週刊文春において衝撃的な見出しが躍った。

三代目JSB 1億円でレコード大賞買収の「決定的拠」

同年10月26日16:01付けの同誌Webニュースにも掲載されたこのニュースはこの年数々のスクープをものにした文が大々的に報じたもので、内容は芸能界大手事務所の「バーニングプロダクション」が、三代目~が所属する「株式会社LDH」に対して1億円の請書を送ったことが判明したというもの。
すなわち、過去幾度となく言及があった「日本レコード大賞における買収疑惑」が真実であったことを告げるものであった。

それまでも上記のようにレコード大賞は買収疑惑が絶えなかったものの、この記事では「決定的な拠が出たのはこれが初めてである」として実名、実物の写真入りで決算印も本物であるとして報道されたことで庶民は驚かされた。

さらに、この記事では同年のレコード大賞について4週にって特集記事を掲載、その年の大賞及び新人賞についても言及し、11月17日号において「一気に大賞補に浮上した西野カナも実はバーニング幹部のK氏が猛プッシュしています」、同12月1日号において「新人賞にはバーニング社長が最もお気に入りの歌手部智史や、同社の広報担当幹部が猛プッシュしていたエイベックスiKONが選出された」との予測を立てていた。

かくして、12月30日はこの「買収報道」と「既定路線の出来レース報道」の双方に注が集まる結果となり、「最終的に癒着や汚職に縁な宇多田ヒカル(この年に活動を再開している)が受賞するのではないか?」との予測もあったものの、結果的には文報道全に的中し、新人賞を韓国iKONが、大賞を西野カナ「あなたの好きなところ」が受賞するに至り、「全く自浄作用いのか!!」とインターネットを中心に大バッシングが起こることとなった。

また、インターネットメディアを中心にレコード大賞の組織解体及び賞そのものの中断(つまり「もうそんな内輪だけの盛り上がり賞なんかとっとと辞めちまえ!」ということ)というも大きくなった。

なお、こうした買収や賞の権威失墜の陰には、1994年Mr.Childrenしているとのもある。
それ以前にも吉田拓郎松任谷由実のように、「賞レースに血眼になるのは格好が悪い」として辞退する、といったミュージシャンは少なくなかったものの、この年のものはそれを決定づけてしまう出来事であった。
彼らは94年の年間売上トップで大賞受賞曲は「innocent world」という一見問題なさそうな受賞であったが、この年にあや子(彼女バーニング系列である)を受賞させよ、とする圧があったとされ、それに反発した審員がこぞってミスチル投票、結果として本人は海外でのミュージックビデオレコーディングで不在であるにもかかわらず受賞となってしまい、Mr.Children側も「自分たちの楽曲が正当に評価されたわけではない」として以後「Sign」での受賞までノミネートそのものを断る状況が続いた。

さらに、このミスチルの不在受賞によって会場がシラケてしまったことから「出演しない歌手には大賞は絶対にやらん」という暗黙の了解が敷かれた結果、さらに受賞作品は偏りがちとなり、年間トップにも入らないのに受賞した作品や誰も知らない曲が大賞になる、といった結果につながったのではとのも大きい。

外部リンク

関連項目

脚注

  1. *レースやかりし時代から続いているのはレコード大賞やフジテレビの「FNS歌謡祭」など少数である。しかし、「FNS歌謡祭」も1991年現在コンサート形式に変更され、同じTBS系列で放送されていた「日本有線大賞」も2017年を最後に放送終了となった。このためレコード大賞のように往年の音楽賞形式を維持しているものは現在では稀な存在となってしまった。
  2. *特に2000年代以降は大賞受賞者に浜崎あゆみEXILEAKB48など連続受賞するのがしくなくなってしまう事態が続出したため、EXILEなどエイベックス所属者とAKB48など秋元康プロデュースアイドルが賞を持ち回り受賞しているだけ」とまで言われてしまっている。
  3. *以前は審からも外されており、1979年に発表され民的ヒット曲となった西城秀樹の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」、1982年に発表され同年の日本歌謡大賞を受賞したものの洋楽曲の盗作騒動があり作曲クレジットに元曲の作曲者が併記されることになった岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」はノミネートすらされなかった。
  4. *歌唱賞自体は第1回から制定されている。初代はフランク永井
  5. *新人賞自体は第2回から制定されている。初代受賞者は幸夫。
  6. *新人賞受賞:第40回(1998年)→モーニング娘。、第41回(1999年)→太陽とシスコムーン、第49回(2007年)→℃-ute、第52回(2010年)→スマイレージ(現アンジュルム)、第55回(2013年)→Juice=Juice、第57回(2015年)→こぶしファクトリー、第59回(2017年)→つばきファクトリー、第61回(2019年)→BEYOOOOONDS。この中で最優秀新人賞を逃したのは太陽とシスコムーンJuice=Juiceだけである。
  7. *1992年に亡くなった尾崎豊は「審委員メモリアル賞」、1998年に亡くなったhideは特別賞を受賞している。
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