日本SF大賞とは、日本SF作家クラブが主催する賞。第33回までの後援は徳間書店、第34回~第39回の協賛はドワンゴ。
混同している人が多いが、日本SF大会の参加者による投票で決まる星雲賞とは別の賞なので注意。名前が似ているが、この賞は日本SF大会とは関係がない。
最新の受賞作は、荒巻義雄『SFする思考 荒巻義雄評論集成』と小田雅久仁『残月記』(第43回)。
1980年設立。毎年10月1日から翌年9月30日に発表された国内の商業SF作品から、日本SF作家クラブ会員へのアンケートの結果を基に候補作を選出し、日本SF作家クラブの選定した選考委員による選考で決定された、アメリカでいうネビュラ賞に相当する賞。設立時に中心となったのは小松左京と筒井康隆で、筒井的には大江健三郎の『同時代ゲーム』に受賞させたくてこの賞を作ったらしい(結局受賞はしなかったが)。
受賞作発表は『SF JAPAN』誌上、休刊後は『問題小説』→『読楽』誌上で行われ、受賞者にはトロフィーと、副賞200万円が与えられた。……と、ここまでが徳間書店が後援についていた第33回までの話。
徳間書店は2012年の第33回をもって後援を外れ、賞の存続自体が危ぶまれたが、2013年の第34回からはドワンゴが協賛につき、新たな試みとして読者からの候補作エントリー募集を開始(ここでエントリーされないと最終候補にならない)。また贈賞式をニコニコ生放送で中継している。ちなみに賞金額は100万円。なお対象期間が9月1日から翌年8月31日に変更になっている。
なお、ドワンゴは業績悪化で第39回限りで協賛から外れた模様。
最大の特徴は、設立当初から現在に至るまで、SFであれば小説に限らず評論、伝記から漫画、映画、アニメ、特撮なども対象になり、部門別に分かれておらず全て同列に候補に挙がることである(具体的な受賞作・候補作は後述)。ゲームソフトの『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…』が候補になったこともある。
現在の読者エントリー制度では、候補作のエントリーは推薦文さえ書けば誰でも推薦でき、また対象期間内の作品であれば媒体は問わず、「SFとして」推薦文を書ければ一般にSFと見なされない作品でもエントリー自体は受け付けられる。たとえば第36回では劇場版『ラブライブ!』や、ニコニコ動画のTAS動画シリーズ「3つのボタンでカービィボウル」がエントリーされたりした(さすがに候補にはならなかったが)。ここでエントリーされた作品を対象に、日本SF作家クラブ会員へのアンケートを行い、5~6作程度の最終候補作が決定され、そこから選考委員の合議で受賞作が決定する。
選考委員は現在は3年任期。なお対象作品は新人からベテランまで一切問わないので、選考委員の作品が候補に挙がってしまうこともあり、第35回・第36回では選考委員である谷甲州の作品が2年連続で候補となり、第36回で谷が受賞した。第38回でも選考委員の飛浩隆が候補になり受賞。
初期は長く日本のSF界を支えてきた大御所への功労賞的側面が強かったが、主な大御所がだいたい受賞してしまったためか、現在は主に新進気鋭の作家の出世作・その時点の代表作に与えられる賞になっている(もちろんベテランが獲ることもある)。当初は規約により候補作を公表していなかったが(『大いなる助走』を書くぐらい文学賞落選にトラウマがあった筒井康隆が、落選した作家への配慮としてそう決めたらしい)、第18回から公表されるようになった。
また、日本SFに大きな功績のある人物が特別賞として表彰されることがある(死去した際に贈られることが多いが、存命で受賞した人もいる)。TV番組、アンソロジーシリーズに与えられたこともあるので基準は今ひとつ不明。第33回には2009年に死去した伊藤計劃(第30回大賞受賞者)の遺稿を円城塔が書き継いだ『屍者の帝国』が大賞ではなく特別賞に選ばれた。第35回以降は、死去した人物は「功績賞」として表彰されている。
当初は重複受賞は認められていなかったが、瀬名秀明が『BRAIN VALLEY』で受賞した(第19回)後に『デカルトの密室』(第26回)や『希望』(第32回)で候補になっているように、途中から規約が改められ重複受賞が可能になった(掲示板>>2によれば、筒井康隆が『朝のガスパール』で受賞した後に『パプリカ』が出たため、「可能だけどハードルは高くする」ことにしたらしい)。第34回の宮内悠介、第36回の牧野修、第37回の庵野秀明と、既に受賞した作家が再び受賞相当の作品でノミネートされた場合は「特別賞」になることが多かったが、第38回で飛浩隆が初となる2度目の受賞を達成。第40回では酉島伝法が2人目となる2度目の受賞を達成。
第1回の受賞作である堀晃『太陽風交点』を巡って、早川書房と徳間書店の間でいわゆる「早川・徳間裁判」が起き(太陽風交点事件)、80年代の国内SFの流れに大きな影響を与えた(後述)。この影響で早川書房の作品はしばらく日本SF大賞を獲れなかった(次の早川書房の本が受賞したのは第10回)と言われているが、単に受賞に値する作品が早川書房から出ていなかっただけという意見もある。
第1回受賞作である堀晃『太陽風交点』は早川書房から出版されたが、徳間書店が後援となっている日本SF大賞を受賞したことで、徳間書店は堀と『太陽風交点』の文庫を徳間文庫から出す契約を交わした。それを聞いた早川書房が「文庫はうちで出す約束だったはずだ」と文句をつけるも、徳間文庫版『太陽風交点』が出版されたことでハヤカワ文庫版『太陽風交点』はお蔵入りになり、文庫化に関する契約を巡って裁判となった。
結果は一審、二審ともに「ちゃんと文書で契約を交わしてなかった早川側が悪い」との判決で早川書房の敗訴。この件を巡っては小松左京を筆頭に多くのSF作家が作家の権利を守るという観点から徳間側につき、徳間書店の『SFアドベンチャー』誌に移動した。そのため早川書房は書き手が足りなくなり、『SFマガジン』誌上での新人発掘を精力的に行い、「第三世代」と呼ばれるSF作家たちが活躍する契機にもなった。
この件の遺恨は21世紀になっても(少なくとも早川側は)引きずっていたようで、小松左京が2011年に死去した際も、『SFマガジン』は小松左京追悼特集を組んでいない。しかし2017年に《日本SF傑作選》シリーズの第2巻として小松左京の本が30年以上ぶりに早川書房から刊行され、ようやく遺恨はなくなったようである。
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最終更新:2024/04/23(火) 15:00
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